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震災遺構 気仙沼市のケース

気仙沼市の震災遺構としては、私の目の前に存在している被災した旧気仙沼向洋高校の校舎にすんなり決まりそうです。 気仙沼市の震災遺構として、当初、鹿折地区に打ち上げられた巻き網漁船 『第18共徳丸(

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防潮堤問題(4) 考えるスパンの違い

あくまで個人的な傾向的な見解として受け止めてもらいたいです。 被災者は行政が提示した防潮堤案を容認し、被災しなかった人や第三者は防潮堤案に意義(高すぎるとか)を発している傾向があるように思えます

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防潮堤問題(3) コンクリート

私たち被災者は、好き好んでコンクリート塀に囲まれるような防潮堤を望んでいるわけではありません。 住宅を建てられるかどうかの基準となる、『危険区域』の設定に直結する、防潮堤などの津波を防御する構造

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防潮堤問題(2) 危険区域

防潮堤の高さが直結している『まちづくり』の中で、被災地・被災者にとって、直接影響し、判断を迫られたこととして、『危険区域の設定』があります。 これはどういうことかというと、L1の津波を守る防潮堤

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防潮堤問題(1) 防潮堤の高さ

東日本大震災の復興事業において、議論、話題になっているのが防潮堤の高さの問題です。 安倍総理大臣の夫人、昭恵さんが、現状の防潮堤計画に対し、疑問を投げかけ問題提起し、行動・活動していることでも話

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震災から4年になるね

じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか? ケンカしないで、安らかに、私たち家族を見守ってくれていますか? ママ、チーズ(愛犬だったゴールデンレトリバー)と毎日、散

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家族からのメッセージ(10) お元気ですか?-2

より子お姉ちゃん、膝の調子はどうですか? 無理をしていませんか? 愛犬チーズはおりこうさんにしていますか? お姉ちゃんが菊田家に嫁いで来てくれて、本当に良かった。 明るくて、優しくて、器量

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家族からのメッセージ(9) お元気ですか?-1

お父さん、お母さん、より子お姉ちゃん お元気ですか? そちらの様子はどんな感じなのでしょうか? 私たちは、どうにかこうにかいろんな気持ちを乗り越えながら、みんな元気に生活しています。 安心し

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家族からのメッセージ(8) 一番伝えたいこと

私は、毎年 お母さんの実家へ夏休みと冬休みに5日間ぐらい泊まっていました。 ですが、この東日本大震災で3人の家族と1匹の犬を失いました。 家は跡形も無く壊されて、骨組みすら残っていませんで

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家族からのメッセージ(7) 一生忘れないよ

おばあちゃん、おじいちゃん、より子ママ・・・ありがとう。 今まで本当にありがとう。 ただこの言葉しか出てきません。 3月11日なぜあの時、自分は即座に気仙沼に電話をしなかったのだろうかと

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家族からのメッセージ(6) 見守っていてね

3.11 絶対に忘れることのない日です。 私が20年間生きた中でこんな悔しい思いをしたのは初めてです。 うまく言葉に出来ないけど、今でもあの感覚は忘れられません。 いまだに受け止められない

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家族からのメッセージ(5) 家族のつながり

目を閉じれば そこには懐かしい故郷の景色、幼い頃の楽しかった思い出。 そして優しかった父、母、お姉ちゃんの笑顔がまるで今も存在しているかのように鮮明に映し出されます。 私がそれまで育った本

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家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2

震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いました。 大人になりたくないって凄く思いました。 何よりも、ママがいない未来が本当に怖いです。

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家族からのメッセージ(3) 私のこころ-1

3月の震災から1年が経とうとしています。 この1年、あっという間に過ぎて行った気がします。 いつ桜が咲いて散っていったのか、ひまわりがいつ咲いていたのか、いつの間にか紅葉が終わっていて、気づけ

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家族からのメッセージ(2) 強くなる

東日本大震災から、1年が経とうとしています。 現在、気仙沼を離れて生活しているためか、いまだに実感があまりわきません。 こちらも多少傷跡がありますが、ほとんど震災前と変わらないようです。

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家族からのメッセージ(1) 

『追想』を自費製作するにあたり、残された家族からのメッセージを添えることにしました。 追想は一周忌法要に間に合わせる予定で製作しましたので、メッセージは、ちょうど東日本大震災から1年になろうとし

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さいごに(3) 最終回、退職のご挨拶

とうとう最終回になりました。 3.5ヶ月もの間、お付き合い頂きありがとうございました。 大変恐縮ですが、私こと このたび、11月10日付をもって退職させていただくことになりました。 引

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さいごに(2) 帰宅許可について

今回、奇跡的に工場社員の犠牲者はいませんでしたが、大震災・大津波警報発令の直後の帰宅許可は、工場責任者としては適正な判断とは思いません。 下記に工場の今後の対応について、私なりの原案を提示します

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さいごに(1) 雲の遥か

長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。 私は大震災前まで歌を聴いて泣けることなど、滅多にありませんでした。 ところが、気仙沼で活躍しているシンガーソングライターの熊谷育美さ

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生産再開へ(7) 体制の変化

プロジェクト・分科会の体制・メンバーは生産再開・災害復旧の内外的な変動に伴い、刻々と変化していきました。 4/4~宮城工場のプロジェクト・分科会の体制が,、一部微調整ありながらまとまり、当時は災

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時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

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元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

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東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

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