家族からのメッセージ(5) 家族のつながり
公開日:
:
最終更新日:2016/03/11
家族からのメッセージ, 東日本大震災体験談
目を閉じれば そこには懐かしい故郷の景色、幼い頃の楽しかった思い出。
そして優しかった父、母、お姉ちゃんの笑顔がまるで今も存在しているかのように鮮明に映し出されます。
私がそれまで育った本家から、あの別家の地へと移り住んだのは、もう40年前の幼稚園最後の年でした。
翌年には、妹が誕生し・・・新しい家に新しい家族が増えたという喜びで、広い家の中を何度も何度も走り回った事を、昨日の事の様にはっきりと覚えています。
しかし、父と母の仕事は季節や自然災害に左右され、私達三人を育てるのはとても大変な時期がありました。
季節を問わず朝早くから海へ行き、田畑の重労働も重ねながら、必死に私達を育て上げてくれた両親へは本当に感謝の気持ちで一杯です。
今、自分が母となり・・・親となって生まれ育った地への郷愁や愛郷を感じて居た矢先に今回の震災。
あまりにも悲しすぎました。
せめて父、母・・・そしてお姉ちゃんに最後のお別れをしたかったです。
手をとって感謝の気持をちゃんと伝えたかったです。
お父さん。 ありがとう!
お母さん。 ありがとう!
お姉ちゃん。 ありがとう!
この両親の元に授かり・・・この地に生まれ育った巡り合わせを忘れないで、家族の愛と言うものを自分の子供達や後世に語り伝えながら、しっかりと生きて行きたいと思います。
編集後記
妹(長女)は、仙台に就職し、旦那さんと出逢い、結婚し仙台で暮らしています。
両親と同じように3人の子宝(1男2女)に子宝に恵まれ、まだ2人が学生につき、もう少し子育てが残っているみたいですが、子供が大きくなったので、アルバイトをしながら主婦をがんばっているみたいです。
旦那さんが事業家なので、専業主婦として子育て、やりくりなど苦労もあったと思います。
盆正月には必ず子供達と気仙沼の実家に帰ってきては、ゆっくり過ごし、帰って行きます。
母や義姉(女房)がいるので、その間は、家事や子育てが軽減でき、諸先輩に相談しあってはストレスを発散していたと思います。
女房は敵を作らない性分で、妹達とは本当の姉妹のように仲良く、出迎えてくれたので、妹家族は帰郷が楽しみだった様です。
震災後も必ず帰郷しますが、現在は、兄貴(私)が、一人できちんと生活しているのか?の監視・指導役です(笑)。
スポンサードリンク
関連記事
-
-
3/17~31の活動(1) 協力体制
これからは日付毎ではなく、分野毎に発信していきます。 3/17(木)、この日から地元の運送業者
-
-
生産再開へ(2) 本社出張
今になると、翌日(4/1)、どのようなルートでビジネスホテルから本社まで行ったのか記憶が曖昧ですが、
-
-
3月11日の出来事(5) 唯一の情報入手源
もう少し、通信不能の状況についてお付き合いください。 震災後、数日間の唯一の情報入手源はラジオ
-
-
家族からのメッセージ(9) お元気ですか?-1
お父さん、お母さん、より子お姉ちゃん お元気ですか? そちらの様子はどんな感じなのでしょうか?
-
-
3月15日の行動(3) 行方不明届
市内の病院から地元の気仙沼階上に戻り、どういう結果であれ、早く発見してあげることに優先すべき、との義
-
-
さいごに(3) 最終回、退職のご挨拶
とうとう最終回になりました。 3.5ヶ月もの間、お付き合い頂きありがとうございました。 大変
-
-
支援物資(5) 初動判断
これまでは、ボランティア的な支援物資に関して考察してきましたが、工場再開、災害復旧のために必要不可欠
-
-
さいごに(2) 帰宅許可について
今回、奇跡的に工場社員の犠牲者はいませんでしたが、大震災・大津波警報発令の直後の帰宅許可は、工場責任
-
-
生産再開へ(6) 常務が大余震を・・・
本格的に生産が再開される見通しになった4月7日、震災以降、本社経営陣として、初めて常務が工場に入りま
-
-
震災から4年になるね
じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか? ケンカしないで、安らか
スポンサードリンク
- PREV
- 家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2
- NEXT
- 家族からのメッセージ(6) 見守っていてね