震災遺構での語り部活動(1)
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最終更新日:2021/02/16
震災伝承
東日本大震災から10年経過しようとしています。
これまでブログの更新をさぼってしまいましたが(笑)、大震災から10年という節目を迎えるに当たり、私が家を流出した被災者、家族を亡くした遺族の立場で、これまでの行動を含めて震災伝承と節目についてご紹介したいと思います。
はっきり言いまして、3月11日という東日本大震災が発生した日、家族の命日が近づくこの時期が一番苦手で、特に今年はコロナ禍の中で10年という大きな節目を迎えるので余計に落ち込みが激しいだろうな~と思っており、その心境をさらけ出し、このような被災者・遺族もいるんだな~と思って頂ければと久しぶりの投稿になります。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
もっと、早くにご紹介しておくべきだったのですが、震災で流出した自宅跡地(現コテージ)の目の前にある、旧気仙沼向洋高校校舎が東日本大震災の震災遺構と整備、敷地内に伝承施設が新設されて、2019年3月に気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館としてオープンしました。
私はオープン当時から、地元住民中心に20数名が登録し活動している語り部の一人として、語り部の予約がある団体様等に伝承館から依頼があれば出向いて、語り部活動を行っています。
私の節目は2016年6月の自宅再建
震災の年に、私の役目は終わった、と幹部だった会社を退社し脱サラしたのですが、まずは食べていかなければならないことから、個人事業主として事業開業(宿泊施設)に注力し、自宅再建については後回しでした。
事業がある程度軌道にのってきた震災から2年後の2013年3月、自宅跡地(コテージ設置)の後ろの隣接地に防災集団移転事業が検討されていることを知りました。
1世帯に空きがあるとのことから、いつまでも約15km離れていた仮設住宅(みなし仮設)の生活を続けて行くわけにはいかず、妹家族や子供達が盆正月に帰郷できる自宅を再建する必要があると思い、その事業に参加させて頂き、大学の先生などのご支援を受けながら、住宅再建を検討してきたのです。
当初は2014年10月に住宅建設完了し引き渡し・引っ越し予定でしたが、国などの行政支援での防災集団移転促進事業で、様々な場所で一気に事業が進んでいたことなどから、宅地造成計画が遅れ、土地の引き渡しが2015年暮れになり、住宅建設完了し引き渡し・引っ越しが2016年6月だったのです。
結果的に震災から5年を超え、地元に戻っての住宅再建でした。
仮生活から地元(自宅跡の隣接地)に住宅再建し、やっと普通で恒久的な生活が開始できた大きな節目なのです。
目標達成後の燃え尽き症候群
東日本大震災で失ったものを失った場所(地元)で取り戻したい❕
このことが、脱サラを決心した大きな理由でした。
失った家族だけは戻ることはないのですが・・・。
その中で大きなプロジェクト(目標)が住宅再建で、様々な支援はあったとしても、金銭的な面も含めて、全ては自分一人で決断することが求められ、プレッシャーとなりました。
そのような状況で住宅再建という目標が達成したときは、当然ながら達成感はあったのですが、それ以上に燃え尽き症候群が襲ってきたのです。
打ち込む対象が無くなって虚脱感に襲われ、やる気がなく何もしたくない・・・。
そのような時に、近くの旧気仙沼向洋高校が震災遺構として残り、地元の方々が語り部活動に向けて準備を始めているとの情報が耳に入りました。
今なら語れるかも!?
被災地・被災者として、震災伝承は重要であるとの認識はありますが、震災直後においては伝承の語り部をしたいとも思いませんでしたし、できるとも思いませんでした。
- 当時の状況がフラッシュバックしてしまい冷静に語れる自信がない
- 自分のことで精一杯
が大きな理由ですが、
フラッシュバックに関しては5年も経過すると、時間という処方箋が効いてきた感があり、今ならある程度努力すれば冷静に語れるのでは?
という感覚を持ち、
住宅再建を果たし、普通の生活を取り戻したことで、時間的余裕と新たなことにトライするという目標を持ちたかった。
というタイミングが語り部をトライしようと思えるようになった経緯でした。
語り部にも体験は様々
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館のオープン1年以上前から地元(気仙沼市階上地区)の語り部部会に参加し、会員みんなでスキルアップなどの準備を行ってきました。
そして、オープン前には、伝承館スタッフや気仙沼市の他の語り部組織とも一緒に伝承ネットワークが組織化され、20名を超す語り部スタッフとなり、現在まで活動してきました。
語り部スタッフにおいて東日本大震災の体験ははっきり言って千差万別です。
震災遺構・伝承館の語り内容は、基本的に旧向洋高校や周辺を襲った震災状況や、生徒・先生の避難行動などはある程度、マニュアルに沿った語りがある一方、語り部本人の体験、避難生活などオリジナル的な語りも含めているので、結果的に語り部スタッフによって語る内容も千差万別になります。
私でしか語れないことがある!
常にこのことを意識し、語り部を行っています。
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