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「 東日本大震災体験談 」 一覧

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じることは、残された家族・親族との絆が強まった、ということです。 辛い思いは私だけでなく、辛さを共有しているからこそ、震災直後からの生

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ご宿泊者に追想(コピー版)をプレゼント

このブログのベースとなっている、自費製作した『追想』のコピー版を、ある京都の中学の先生のご好意により、コテージキクタにご宿泊するご希望のお客様にプレゼントします。 その先生とのおつき合いは、コテ

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震災から4年になるね

じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか? ケンカしないで、安らかに、私たち家族を見守ってくれていますか? ママ、チーズ(愛犬だったゴールデンレトリバー)と毎日、散

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家族からのメッセージ(10) お元気ですか?-2

より子お姉ちゃん、膝の調子はどうですか? 無理をしていませんか? 愛犬チーズはおりこうさんにしていますか? お姉ちゃんが菊田家に嫁いで来てくれて、本当に良かった。 明るくて、優しくて、器量

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家族からのメッセージ(9) お元気ですか?-1

お父さん、お母さん、より子お姉ちゃん お元気ですか? そちらの様子はどんな感じなのでしょうか? 私たちは、どうにかこうにかいろんな気持ちを乗り越えながら、みんな元気に生活しています。 安心し

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家族からのメッセージ(8) 一番伝えたいこと

私は、毎年 お母さんの実家へ夏休みと冬休みに5日間ぐらい泊まっていました。 ですが、この東日本大震災で3人の家族と1匹の犬を失いました。 家は跡形も無く壊されて、骨組みすら残っていませんで

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家族からのメッセージ(7) 一生忘れないよ

おばあちゃん、おじいちゃん、より子ママ・・・ありがとう。 今まで本当にありがとう。 ただこの言葉しか出てきません。 3月11日なぜあの時、自分は即座に気仙沼に電話をしなかったのだろうかと

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家族からのメッセージ(6) 見守っていてね

3.11 絶対に忘れることのない日です。 私が20年間生きた中でこんな悔しい思いをしたのは初めてです。 うまく言葉に出来ないけど、今でもあの感覚は忘れられません。 いまだに受け止められない

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家族からのメッセージ(5) 家族のつながり

目を閉じれば そこには懐かしい故郷の景色、幼い頃の楽しかった思い出。 そして優しかった父、母、お姉ちゃんの笑顔がまるで今も存在しているかのように鮮明に映し出されます。 私がそれまで育った本

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家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2

震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いました。 大人になりたくないって凄く思いました。 何よりも、ママがいない未来が本当に怖いです。

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家族からのメッセージ(3) 私のこころ-1

3月の震災から1年が経とうとしています。 この1年、あっという間に過ぎて行った気がします。 いつ桜が咲いて散っていったのか、ひまわりがいつ咲いていたのか、いつの間にか紅葉が終わっていて、気づけ

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家族からのメッセージ(2) 強くなる

東日本大震災から、1年が経とうとしています。 現在、気仙沼を離れて生活しているためか、いまだに実感があまりわきません。 こちらも多少傷跡がありますが、ほとんど震災前と変わらないようです。

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家族からのメッセージ(1) 

『追想』を自費製作するにあたり、残された家族からのメッセージを添えることにしました。 追想は一周忌法要に間に合わせる予定で製作しましたので、メッセージは、ちょうど東日本大震災から1年になろうとし

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さいごに(3) 最終回、退職のご挨拶

とうとう最終回になりました。 3.5ヶ月もの間、お付き合い頂きありがとうございました。 大変恐縮ですが、私こと このたび、11月10日付をもって退職させていただくことになりました。 引

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さいごに(2) 帰宅許可について

今回、奇跡的に工場社員の犠牲者はいませんでしたが、大震災・大津波警報発令の直後の帰宅許可は、工場責任者としては適正な判断とは思いません。 下記に工場の今後の対応について、私なりの原案を提示します

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さいごに(1) 雲の遥か

長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。 私は大震災前まで歌を聴いて泣けることなど、滅多にありませんでした。 ところが、気仙沼で活躍しているシンガーソングライターの熊谷育美さ

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生産再開へ(7) 体制の変化

プロジェクト・分科会の体制・メンバーは生産再開・災害復旧の内外的な変動に伴い、刻々と変化していきました。 4/4~宮城工場のプロジェクト・分科会の体制が,、一部微調整ありながらまとまり、当時は災

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生産再開へ(6) 常務が大余震を・・・

本格的に生産が再開される見通しになった4月7日、震災以降、本社経営陣として、初めて常務が工場に入りました。(Y氏と) 東北電力への御礼、気仙沼市役所の都市計画課の方を訪れ仮設住宅の件での相談、市

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生産再開へ(5) プロジェクト体制

4/4(月)、大震災以降、初めて工場全社員を対象とした出社がスタートしました。 まず、全体の朝礼を行い、震災以降の状況や今後の生産再開、災害復旧について概要説明を行い、その後、幹部を対策本部に集

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生産再開へ(4) 工業用水と通勤

沢水の摂取場所(水量との関係)と水質の関係を調査し、加工工程の工業用水として使用することができるか?を確認する必要がありました。 その水質分析を本社に依頼するも、しばらく待っても応答がなく、結果

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時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

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時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

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時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

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時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

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