家族からのメッセージ(7) 一生忘れないよ
公開日:
:
最終更新日:2016/03/11
家族からのメッセージ, 東日本大震災体験談
おばあちゃん、おじいちゃん、より子ママ・・・ありがとう。
今まで本当にありがとう。
ただこの言葉しか出てきません。
3月11日なぜあの時、自分は即座に気仙沼に電話をしなかったのだろうかと悔しくて悔しくてたまりません。
しかし、まさかあんな大惨事になるとは思いもしなかったし、三人が亡くなるなんて・・・とても信じられない事でした。
この震災で家族に与える影響はとても大きなものです。
気仙沼での楽しかった思い出を僕は一生、忘れません。
そして将来、自分の子供が出来た時に・・・この甚大で悲惨な震災の事を絶対に伝えて行きます。
編集後記
甥(妹の長男)は、震災当時、中学2年生でした。
震災の影響があったかどうかは分かりませんが、その後、反抗期があったとは思えないほど、素直で優しい男に成長していきました。
高校生活ではクラブ活動に明け暮れ、この春から大学生になります。
姪や甥にとって、我が家(実家)の悲惨な被災は、相当なショックだったと思います。
しかし、その一方で、その辛さを乗り越えさえすれば、これからの若人にはプラスになるはずです。
家族の大切さや絆の重要性を改めて痛感したことは、これからの人生設計に大きく飛躍する特効薬になるものと信じています。
スポンサードリンク
関連記事
-
3月16日の行動(1) 製品初出荷!
3/16(水)の朝になりました。 この日は、いろいろな事があり、いろいろな事を行いました。 震災
-
家族からのメッセージ(1)
『追想』を自費製作するにあたり、残された家族からのメッセージを添えることにしました。 追想は一
-
私の家族(震災から7年)
東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じることは、残された家族・親族との絆
-
生産再開へ(4) 工業用水と通勤
沢水の摂取場所(水量との関係)と水質の関係を調査し、加工工程の工業用水として使用することができるか?
-
3月15日の行動(1) 車の発見
翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても
-
3/17~31の活動(2) 対策本部
工場2階の応接室、会議室は対策本部として、煩雑な部屋に変化していきました。 白板を4つ準備し、
-
私の家族(4) 父の火葬
翌日(3/19)は土曜日ですが、約20名の社員のご協力にて製品出荷を行った日です。 私の方は、
-
生産再開へ(5) プロジェクト体制
4/4(月)、大震災以降、初めて工場全社員を対象とした出社がスタートしました。 まず、全体の朝
-
3月15日の行動(3) 行方不明届
市内の病院から地元の気仙沼階上に戻り、どういう結果であれ、早く発見してあげることに優先すべき、との義
-
家族からのメッセージ(6) 見守っていてね
3.11 絶対に忘れることのない日です。 私が20年間生きた中でこんな悔しい思いをしたのは初
スポンサードリンク
- PREV
- 家族からのメッセージ(6) 見守っていてね
- NEXT
- 家族からのメッセージ(8) 一番伝えたいこと