*

3月16日の行動(2) 生死の境

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月16日の行動, 東日本大震災体験談

家庭・生活面においても、この日はターニングポイントでした。

私にある決意をさせることになるのです。

奇跡的に助かったお隣の娘さん(私と同年代)に非難所で会い、私の家族の非難経路や津波の状況、生死の境について、把握することが出来たのです。
その後にT夫妻の長女の証言情報も反映し、当時の状況を推測します。

隣の娘さんは両親と3人家族で、生き残ったのは娘さん1人です。
その証言によると、3人一緒にすぐ近くの高台に非難したそうです。
その高台は津波警報時の避難場所だったのです。
我が家からも100m位の距離です。

娘さんによると、女房が一緒だったか分からないが、私の両親とは一緒の場所に避難したとのこと。
T夫妻の長女の証言情報からは女房も一緒だったことはその後に分かりました。

女房はワカメの加工手伝い中、大地震に遭い、直ぐに自宅に車で帰り、家で留守番していたT夫妻の長女、母、愛犬を自分の車に乗せ、その高台に非難したそうです。
母が避難用物資をかき集めようと時間をかけていた様です。
父は1人、自分の軽トラックで、その高台に移動、車の中でラジオ等を聞いて避難したつもりになっていたと思います。

女房、母、T夫妻の娘さん、愛犬は車から外に出て避難していたと思います。
その時、高台に住宅があり、住人から、“中に入らいん!”と誘われ、T夫妻の娘さんは中に入りましたが、私の女房、母は愛犬も一緒だったこともあり、そのまま外にいたと思います。

結果的に避難場所及び高台の住宅(1階建て)は人の高さ以上の大津波に遭遇するも、住宅は流出を免れ、中に避難した人は柱等につかまって何とか助かり、外にいた人は、人の高さ以上の津波に遭い流された・・・・。
(それも予想だにしなかった背面からの津波に・・)

これが生死の境だった様です。

唯一、外にいて助かった、お隣の娘さんに、どうやって助かったか?
聞いたところ、ほとんど記憶がないそうで、高台の家ではビニールハウスでいちごの栽培を行っており、そのビニールを掴んだか、たまたま体に巻き付いたか、とにかくビニールのお陰で、津波に流されることだけは回避でき九死に一生を得た状況とのことでした。

3月16日の行動(3) 決意 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

3月12日の行動(5) 実家での出来事

工場に戻る際、山道のルートを変え、○○小学校付近の伯母(父の妹)の家に立ち寄りました。 伯母の

記事を読む

no image

3月12日の行動(4) 予想を遥かに超える津波

あるべき物が何もないんです。 そしてある訳がない物があるんです。 我が家の庭に、小型

記事を読む

no image

支援物資(1) 感謝と感激

3月19日の朝に、それまでの支援物資の量とは比較にもならない、沢山の支援物資を、日本全国のみならず、

記事を読む

ご宿泊者に追想(コピー版)をプレゼント

このブログのベースとなっている、自費製作した『追想』のコピー版を、ある京都の中学の先生のご好意により

記事を読む

no image

3月11日の出来事(6) 避難場所での一夜

3月11日に戻ります。 暗くなり、小雪が舞うきびしい寒さ、断続的に余震が続く中、当工場の非難場

記事を読む

no image

3月14日の行動(4) 当たり前の生活

千厩(岩手県一関市)の宿の情報基地から、K次長と帰路に着く頃には暗くなり、実家経由にて帰るのですが、

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2

震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いま

記事を読む

no image

私の家族(5) 女房の死亡確認

以前に、女房の死亡確認において、情けない失態をさらすことになることに触れましたが、恥を忍んで発信しま

記事を読む

no image

私の家族(8) 母と次女

死亡確認した当日(4/3)に市役所に死亡届を提出し、4/15に女房と同じ千厩での火葬と決まりました。

記事を読む

no image

3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・

14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑