3月16日の行動(2) 生死の境
家庭・生活面においても、この日はターニングポイントでした。
私にある決意をさせることになるのです。
奇跡的に助かったお隣の娘さん(私と同年代)に非難所で会い、私の家族の非難経路や津波の状況、生死の境について、把握することが出来たのです。
その後にT夫妻の長女の証言情報も反映し、当時の状況を推測します。
隣の娘さんは両親と3人家族で、生き残ったのは娘さん1人です。
その証言によると、3人一緒にすぐ近くの高台に非難したそうです。
その高台は津波警報時の避難場所だったのです。
我が家からも100m位の距離です。
娘さんによると、女房が一緒だったか分からないが、私の両親とは一緒の場所に避難したとのこと。
T夫妻の長女の証言情報からは女房も一緒だったことはその後に分かりました。
女房はワカメの加工手伝い中、大地震に遭い、直ぐに自宅に車で帰り、家で留守番していたT夫妻の長女、母、愛犬を自分の車に乗せ、その高台に非難したそうです。
母が避難用物資をかき集めようと時間をかけていた様です。
父は1人、自分の軽トラックで、その高台に移動、車の中でラジオ等を聞いて避難したつもりになっていたと思います。
女房、母、T夫妻の娘さん、愛犬は車から外に出て避難していたと思います。
その時、高台に住宅があり、住人から、“中に入らいん!”と誘われ、T夫妻の娘さんは中に入りましたが、私の女房、母は愛犬も一緒だったこともあり、そのまま外にいたと思います。
結果的に避難場所及び高台の住宅(1階建て)は人の高さ以上の大津波に遭遇するも、住宅は流出を免れ、中に避難した人は柱等につかまって何とか助かり、外にいた人は、人の高さ以上の津波に遭い流された・・・・。
(それも予想だにしなかった背面からの津波に・・)
これが生死の境だった様です。
唯一、外にいて助かった、お隣の娘さんに、どうやって助かったか?
聞いたところ、ほとんど記憶がないそうで、高台の家ではビニールハウスでいちごの栽培を行っており、そのビニールを掴んだか、たまたま体に巻き付いたか、とにかくビニールのお陰で、津波に流されることだけは回避でき九死に一生を得た状況とのことでした。
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