家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2
公開日:
:
最終更新日:2016/03/11
家族からのメッセージ, 東日本大震災体験談
震災当時は、まだ19歳でした。
5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いました。
大人になりたくないって凄く思いました。
何よりも、ママがいない未来が本当に怖いです。
いつか結婚して、子供が出来て悩むことがあったら、ママに相談したい。
ママに孫の世話をして欲しかった、
可愛がって欲しかった。
パパや兄ちゃんが頑張っているのに、こんなこと思っちゃいけないって分かっているのですが、まだ気持ちの整理が着いていない私は、ママの所に行きたいって思ってしまいます。
本当は現実を受け入れて、自分の足で前に進まなきゃいけないって思うのですが、まだまだ私には時間が必要みたいです。
でも、必ずこの現実を受け入れて、前に進みます。
『大丈夫、大丈夫。今辛いのは、いつかの幸せの分。』
友達に教えて貰った、言葉の魔法です。
私はこの魔法の言葉を胸に、少しずつ前に進んでいきます。
就職して、新しい仕事頑張って、結婚して、子供生んで、絶対幸せになる。
心から笑える日が来るように、力強く生きていく。
じいちゃんとばあちゃんに「かすみ偉いごど~」って言ってもらえるように、
ママに「かっぴー頑張ったね」って言ってもらえるように、
チーズに「ワン!」って言ってもらえるように、
ここで立ち止まってるわけにはいけない。
だから、この先何かに躓いたり、悩んだりしたら、みんなの力を借りたいです。
パパ、お兄ちゃん…私はまだまだ子供だけど、いつか恩返し出来るように頑張るね。
離れてもずっとずっと傍にいてね、ずっとずっと家族だから……みんな大好き!!
編集後記
震災当時は専門学校生として東京で一人暮らししていました。
一番心細く、辛く、傷ついたのではないかと思います。
震災の年は、専門学校生最後の年であり、就活をしなければなりませんでした。
自分のやりたい夢より、地元に近いところに居たいとの考えから、仙台の会社に就職することにしました。
専門学校の入学式には夫婦で出席し、娘の成長を素直に喜んでいましたが、卒業式には私一人だけ・・・。
一旦、仙台の会社に就職しましたが、やりたかった夢とのギャップに苦しみ、悩んだ末、娘は一大決心し、東京の会社に再就職することになりました。
近況は、先輩方の叱咤激励を受けながら、一生懸命に働き、一生懸命に東京生活を楽しんでいるみたいです。
少しづつでも、強くなっているんだな~。
娘は人一倍、辛く、悲しい思いをしましたので、それ以上の幸せをつかんでもらいたいと思っています。
スポンサードリンク
関連記事
-
-
3月14日の行動(2) 避難物資の買物教訓
千厩町(一関市)の郊外の大手スーパーやホームセンターに開店待ちで並んでいる状況を無視し、私達は、どの
-
-
生産再開へ(4) 工業用水と通勤
沢水の摂取場所(水量との関係)と水質の関係を調査し、加工工程の工業用水として使用することができるか?
-
-
支援物資(3) 衣食住の衣
支援物資を何にするか?を考える場合、“衣食住”に分けられる。 提供受けた側の経験談として、 “
-
-
3月11日の出来事(3) 津波の映像と携帯不通
とにかく、連絡がつかない、状況がつかめない。 そのような中での私の行動は、駐車場から自分の車を
-
-
私の家族(6) 女房の死亡届・火葬
父の死亡届で経験していますので、女房の時はスムーズでした。 この時にはスクーターが届いており、
-
-
3月15日の行動(1) 車の発見
翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても
-
-
家族からのメッセージ(5) 家族のつながり
目を閉じれば そこには懐かしい故郷の景色、幼い頃の楽しかった思い出。 そして優しかった父、母、
-
-
3月16日の行動(4) 周知・認識不足
3/16(水)は、公私ともにターニングポイントになった日と前述した様に、非常に慌ただしく、精神的にも
-
-
支援物資(2) 震災直後は・・・
今回の大震災の被災者は、社内だけでなく、国内、国外等から沢山の支援を頂き、本当に言葉では表すことが出
-
-
3月14日の行動(3) 情報基地
千厩(岩手県一関市)での買い物を終え、工場に戻ると、既に、海外工場出向組、気仙沼出身組が2台の車で無
スポンサードリンク
- PREV
- 家族からのメッセージ(3) 私のこころ-1
- NEXT
- 家族からのメッセージ(5) 家族のつながり