*

3月11日の出来事(3) 津波の映像と携帯不通

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月11日の出来事, 東日本大震災体験談

とにかく、連絡がつかない、状況がつかめない。

そのような中での私の行動は、駐車場から自分の車をトラックターミナルに移動し、エンジンをかけながら車のTVでNHKのニュースを見ることでした。

画像の順番は違っているかも知れませんが、目に飛び込んできた映像は、

1)仙台市か亘理町か定かではありませんが、仙台平野に津波がどんどん襲来し、家や車などを呑み込み、がれきと共に田畑を喰いあさっていく映像。

2)気仙沼湾の魚市場付近でフェリーがまるでおもちゃの様に航行不能状態で津波に流されている状態。その奥には、商工岸壁にあるはずの丸い石油タンクが流されている映像。

3)気仙沼湾の一番奥の船着き場にある市営駐車場の3階まで津波が押し寄せ、その上の屋上に人が立ち往生している映像。

特に2)3)の映像は見慣れた地元のショッキングな映像でしたので、「ウソだろう!、えー!」って言葉に出たかどうかは定かではありませんが、絶句と共に、初めて、家族、社員の安否が心配になり、残った幹部社員と、携帯電話での家族や本社への通話トライが続くのでした。

大震災直後の携帯電話の不通は、電話をかける人が殺到し、電話会社が回線を規制したことによるケースで、震災地だけでなく、多くの国民が地元や家族や知人の安否を確認したくて経験したことだと思います。
その状態であれば、粘ればつながる可能性はあります。

実際、大震災直後、本社にも何度か通じ、社員を帰した等の簡単な報告を行った記憶がありますし、女房の携帯にも何度もかけた結果、「混み合っているのでおかけ直し下さい」のコールではなく、時々、通話を試みて、「電波が届かないところか電源が入っていない」のコールになった時があり、その時は、

「まずいかも・・・」

と最悪の状況がよぎったことを記憶しています。

まだ、この時は粘ればつながるとの感覚しかなく、粘ってつながった人は、家族等の安否も確認出来た人もいると思います。

しかし、その後、陸の孤島と化し、更にはガソリンが手に入らず、通信の妨げになるとは、ほとんどの方が予測できなかったし、被災地から離れている方は、被災地でどのような状況に陥っているかも把握できなかったと思います。

3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気 につづく

編集後記

震災当日、私は、高台の海が見えない工場に居ましたので、津波に遭遇することはありませんでした。

しかし、車のTVでのニュース映像を見た時には、信じがたい映像をみた瞬間に、事の重大性を認識するのに時間はいりませんでした。

ところが、その後数日間は、TVを見ることも出来なくなり、携帯もつながらなくなり、唯一の情報源は携帯ラジオからの音声のみになってしまいました。

スポンサードリンク

関連記事

no image

家族からのメッセージ(8) 一番伝えたいこと

私は、毎年 お母さんの実家へ夏休みと冬休みに5日間ぐらい泊まっていました。 ですが、この東日本

記事を読む

no image

私の家族(7) 母の死亡確認

最後に発見された母の時まで、何体の遺体の顔写真をみたことか・・・。 きれいなままの顔もあれば、

記事を読む

no image

3/17~31の活動(4) システム対応

大震災以前は、関東の事業所に設置してある、コンピュータシステム(販売管理及び生産管理システム)に、工

記事を読む

no image

3月12日の行動(6) 震災翌日の夜

常務への連絡終了後は、仕事モードから家庭モードへの切替です。 子供たち、妹たちからのメールを受

記事を読む

no image

3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・

14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家

記事を読む

no image

3月13日の行動(1) 安否確認

大震災から3日目(日曜日)の朝になりました。 翌朝には実家でアンテナが立っていた唯一の庭先の場所は

記事を読む

no image

3月11日の出来事(1) 会議中の食堂で

2011年3月11日 14時46分 私はじめ工場幹部は、食堂にて、月1回の定例である“課長会議”の開

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(7) 一生忘れないよ

おばあちゃん、おじいちゃん、より子ママ・・・ありがとう。 今まで本当にありがとう。 ただこの

記事を読む

no image

3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気

時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです

記事を読む

no image

私の家族(6) 女房の死亡届・火葬

父の死亡届で経験していますので、女房の時はスムーズでした。 この時にはスクーターが届いており、

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑