*

3月15日の行動(4) お裾分け

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月15日の行動, 東日本大震災体験談

遺体安置所から工場に戻り、義姉連中は実家に始めに帰り、夕方近くに、K次長、Y氏の弟と一緒に、実家に向かい、情報基地のY氏の成果の確認及び迎いに行くのでした。

その日の夕方、本社からの第2弾として、O氏とK氏が2トントラックで支援物資を運んで深夜に工場に到着する予定になっており、そのトラックで震災以降、初の、工場から製品を出荷(関東の事業所へ)できるかどうかの段取りが着々と進行していたのです。

Y氏は、詳細不明ですが、日中、義母とうまくやっていた様です。
次長がY氏から情報基地を引き継ぎ、製品集荷に関する情報収集対応中に、食事のおもてなし(カレーライスだった様な・・・)、TV観賞、順番にお風呂(シャワー)の提供など、普通の生活のお裾分けして頂き、暗くなってから工場に戻ったと記憶しています。

前日、私は先行して普通の生活を味わっており、ほんの一部の被災社員にですが、普通の生活のお裾分けに協力頂いた義姉には本当に感謝感謝でしたし、3人の社員からも、特に、お風呂(シャワー)は、喜んで頂いた様でした。

工場に戻り、次長は奥さんの実家に帰宅し、私たち(M氏家族、Y氏兄弟と私)は、“睡眠抑制剤”を呑み、仮眠しながら、O氏とK氏の到着を待つのでした。

前日からM氏家族は避難就寝場所を2階の和室に変更していました。

日が変わってからと思いますが、無事に2名が到着し、挨拶もそこそこ、“とにかく寝よう!とその日、2階の避難所には、一番多い人数が宿泊したことになります。

衣服はそのまま着たままで、寝袋に入ったり、毛布等をかけるのですが、人数が増えると分配量が減り、寒さを感じながら寝ようとするのですが、いびきの大合唱に遭遇し寝不足が続くのでした。

後で分かったことですが、その時は“騒音”を原因にして寝不足としていましたが、実際には、“普通の生活” 即ち、家族と一緒の生活が出来なくなった、という現実が、いくら“睡眠抑制剤”を呑もうが、静かな場所で寝ようが、精神的なダメージが睡眠妨害しているのでした。

3月15日の行動(5) Y氏の体験談 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

私の家族(1) 父の発見情報

当分の間、私の家族のことについて、お付き合いください。 私の家族は、父、母、妻(より子)、長男

記事を読む

no image

3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気

時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです

記事を読む

no image

私の家族(3) 父の死亡届

K次長と気仙沼市役所に到着した時は、既に暗くなってきて、当時、市役所も停電状態で、発電機による電気供

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(5) 家族のつながり

目を閉じれば そこには懐かしい故郷の景色、幼い頃の楽しかった思い出。 そして優しかった父、母、

記事を読む

no image

私の家族(8) 母と次女

死亡確認した当日(4/3)に市役所に死亡届を提出し、4/15に女房と同じ千厩での火葬と決まりました。

記事を読む

no image

さいごに(1) 雲の遥か

長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。 私は大震災前まで歌を聴いて泣けるこ

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(10) お元気ですか?-2

より子お姉ちゃん、膝の調子はどうですか? 無理をしていませんか? 愛犬チーズはおりこうさんにして

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(9) お元気ですか?-1

お父さん、お母さん、より子お姉ちゃん お元気ですか? そちらの様子はどんな感じなのでしょうか?

記事を読む

no image

生産再開へ(1) 気持ちの切替

3/末になると、会社としても年度末対応の結果として上半期が終わり、4月からの下半期を向かえる時期です

記事を読む

no image

3月11日の出来事(1) 会議中の食堂で

2011年3月11日 14時46分 私はじめ工場幹部は、食堂にて、月1回の定例である“課長会議”の開

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(2)

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(1)

東日本大震災から10年経過しようとしています。 これまでブログの

景勝地 岩井崎の復旧・復興

やっと観光地の復旧・復興へ   未曾有の災害からの復

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じるこ

→もっと見る

PAGE TOP ↑