*

私の家族(9) 葬儀

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 東日本大震災体験談, 私の家族

4/15(金)に最後になった母の火葬が終わり、葬儀屋さんに3人の遺骨が仮安置して頂いた頃、工場はマイクロバス・乗り合い乗用車を活用した通勤(勤務時間9時~16時)での生産体制にこぎ着けていました。

翌週の4/18(月)からは、通常勤務時間での生産体制の見通しが立った時期と重なりますが、その当時は、公私ともにぽっかり穴が開いた様な感じで、私の気力も体力も限界に近い時期でした。

本来であれば、直ぐにでも葬儀を行い、一区切りをつけるべきでしたが、菩提寺が相変わらず復旧見通しがなく、葬儀参列者の駐車場自体もない状況や、遺骨が仮安置の状況からは、しばらく様子を見て、私自身としても、気力・体力をゆっくり回復したいとの思いに駆られていました。

ちょうど、5月の連休がそのタイミングと思い、連休にリフレッシュ(回復)してから、葬儀を行いたいと考えていました。

ところが、菩提寺が、地元の新聞に、連休前の4/28に大震災犠牲者全体を対象とした四十九日法要を行う旨の広告が載ったのです。
その前に仮安置している遺骨も全て、菩提寺に移動して行うとのこと。

私の家では奇跡的に3人全員が発見できたことから、個人的な葬儀を行うつもりでいて、その旨を和尚さんに話ししたら、
それでは、四十九日法要の前に行ってもらいたい!となり、
エー!となり、
慌てて、その前日(4/27)に行うことにし、葬儀屋さんや親戚・親類、会社への連絡とかの準備に追われ、リフレッシュどころの話ではなかったのです。

通常であれば地元の新聞広告に葬儀日程を知らせるのですが、当時は、周りに被災者が沢山いる状況や、駐車場がない状況からは、知らせをせず、身内のみで葬儀を行い、事後に地元新聞広告に掲載する方法しかとれませんでした。

本来であれば、3人それぞれにお世話になった方々に周知してもらい、多くの方々に見守られて葬儀を行いたかったのですが、当時、大震災の爪痕はそれすら出来なかったのです。

それでも、当日4/27日は、参列することが出来た親戚・親類、ご近所、海外工場責任者のEさんやD社の社長まで駆けつけて頂き、予想以上の方々に見守られて葬儀を行うことが出来ました。

会社、社員からも沢山のご香典を頂きました。

最後だからと、なんと、娘、妹(次女)、姪(長女の子供)、姪(義姉の子供=病院の看護婦さん)の4人もが、それぞれの立場で“お別れのことば”をかけてもらいましたが、喪主にとっては、非常に辛いパフォーマンスでした。

最後の喪主の挨拶では、涙を見せることなく、気丈に振る舞うつもりでしたが無理でした。

(会葬御礼の概略)
両親を介して育ててもらった海は、両親だけでなく、大切な妻をも奪い、残された家族には大きな試練を残しました。
未だに事実を受け入れることができませんが、これからは、故人があの世から私たち家族を見守ってくれていると信じ、海が見えるこの地元に背を向けることなく、この試練を乗り越え、故人の分まで頑張っていきたいと思っております。

私の家族(10) 愛犬チーズ につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

支援物資(3) 衣食住の衣

支援物資を何にするか?を考える場合、“衣食住”に分けられる。 提供受けた側の経験談として、 “

記事を読む

no image

支援物資(6) タイミングと目的

“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの” “提供するタイミングで支援

記事を読む

no image

3月14日の行動(2) 避難物資の買物教訓

千厩町(一関市)の郊外の大手スーパーやホームセンターに開店待ちで並んでいる状況を無視し、私達は、どの

記事を読む

no image

3月16日の行動(1) 製品初出荷!

3/16(水)の朝になりました。 この日は、いろいろな事があり、いろいろな事を行いました。 震災

記事を読む

no image

3月16日の行動(2) 生死の境

家庭・生活面においても、この日はターニングポイントでした。 私にある決意をさせることになるので

記事を読む

家族からのメッセージ(3) 私のこころ-1

3月の震災から1年が経とうとしています。 この1年、あっという間に過ぎて行った気がします。

記事を読む

no image

3月12日の行動(2) レスポンスの早さ

確か工場点検後、避難場所の玄関フロアに戻った時だったと思いますが、地元運送業者のD社の専務さんが心配

記事を読む

no image

3/17~31の活動(1) 協力体制

これからは日付毎ではなく、分野毎に発信していきます。 3/17(木)、この日から地元の運送業者

記事を読む

no image

生産再開へ(1) 気持ちの切替

3/末になると、会社としても年度末対応の結果として上半期が終わり、4月からの下半期を向かえる時期です

記事を読む

no image

3月16日の行動(3) 決意

本来の避難場所が避難場所にはならなかった状況は、私たちの予想を遙かに超える悲惨な状況でした。

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(2)

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(1)

東日本大震災から10年経過しようとしています。 これまでブログの

景勝地 岩井崎の復旧・復興

やっと観光地の復旧・復興へ   未曾有の災害からの復

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じるこ

→もっと見る

PAGE TOP ↑