*

3/17~31の活動(5) 仮事務所の増殖

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月17~31の活動, 東日本大震災体験談

発電機が手に入り、組立できる製品の部材の出庫や組立作業を開始するとなると、製品物流以上のコンピュータ・システムへ処理(部材の入出庫や作業指示の完成入力)を追従させていかなければなりません。

そのころから、被災が免れた社員の家にも停電復旧や光通信の復旧の情報が入り始めました。

被災を免れた家においても建っている場所によって、当たりとハズレがあり、東北電力では、被災者支援や災害復旧の優先順位を付けて復旧を試みていた様で、例えば、被災者避難場所や、開院している病院などを目指して復旧しており、その周辺の家は“当たり”で復旧が早かったのです。
(新しく土地を購入し家を建てる際の選択条件になるかも!)

一般家庭で光通信の復旧が、社員の中で一番早かったのは、H氏宅で、メール等のやりとりだけでなく、3,4名ならシステムへのアクセス処理が可能ということになり、

仮事務所的な設置が出来ないか!?

と打診したところ、ちょうど、H氏宅の隣に工務店さんの土地と小さなプレハブがあり、H氏にその土地とプレハブをレンタル交渉してもらい成立、光通信をH氏宅から引っ張り、仮事務所の第一号として、その地名を取って、“T仮事務所”と呼び、生産に関わるシステム入力が数名レベルの処理能力ですが可能になったのでした。
“T仮事務所”の開設は3/25~です。
H氏にはそのころから“在宅勤務”にて頑張ってもらいました。

4月の生産再開の見通しが立ってくると、到底、T仮事務所だけで間に合う訳がなく、次に開設したのが、R地区のS氏さん宅に開設した、“R仮事務所”でした。
駐車場付き納屋の一部を間借りして仮事務所の設置のご協力を頂きました。
開設は4/6~です。

次に開設したのが、Z地区のS課長宅で、離れの小屋を貸して頂き、“Z仮事務所”の開設に協力頂きました。
開設は4/11~です。

4月に入ると、NTTの△中継局まで、従来の通信スピード同様のネットワークが復旧できる見通しとの情報が入ってきました。
役所幹部のご紹介から、その中継局の隣の役所に勤めている方の物置小屋をお借りし、4/13~他の仮事務所レベルの処理能力にて、 “△仮事務所” として開設しました。

4/26~△仮事務所は、従来(震災前)の工場と同等レベルの通信が可能(10名位のスタッフで対応)となり、その時点で会社から一番遠い、“T仮事務所”を閉鎖し、6/24迄3つの仮事務所で生産管理・購買等の業務を行ってきました。

私の家族(1) 父の発見情報 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

支援物資(6) タイミングと目的

“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの” “提供するタイミングで支援

記事を読む

さいごに(2) 帰宅許可について

今回、奇跡的に工場社員の犠牲者はいませんでしたが、大震災・大津波警報発令の直後の帰宅許可は、工場責任

記事を読む

no image

3月12日の行動(1) 工場内の確認

ほとんど眠ることはできず翌朝(土曜日)になりました。 まず、私が行った行動は、明るくなってきた

記事を読む

3月15日の行動(1) 車の発見

翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても

記事を読む

no image

私の家族(4) 父の火葬

翌日(3/19)は土曜日ですが、約20名の社員のご協力にて製品出荷を行った日です。 私の方は、

記事を読む

no image

3/17~31の活動(1) 協力体制

これからは日付毎ではなく、分野毎に発信していきます。 3/17(木)、この日から地元の運送業者

記事を読む

no image

3月16日の行動(2) 生死の境

家庭・生活面においても、この日はターニングポイントでした。 私にある決意をさせることになるので

記事を読む

no image

3月15日の行動(4) お裾分け

遺体安置所から工場に戻り、義姉連中は実家に始めに帰り、夕方近くに、K次長、Y氏の弟と一緒に、実家に向

記事を読む

no image

3/17~31の活動(3) 情報通信

17日からの本格的な4トントラックでの製品出荷を開始すると、本社側との頻繁な情報通信のやりとりが必要

記事を読む

no image

生産再開へ(4) 工業用水と通勤

沢水の摂取場所(水量との関係)と水質の関係を調査し、加工工程の工業用水として使用することができるか?

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(2)

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(1)

東日本大震災から10年経過しようとしています。 これまでブログの

景勝地 岩井崎の復旧・復興

やっと観光地の復旧・復興へ   未曾有の災害からの復

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じるこ

→もっと見る

PAGE TOP ↑