*

家族からのメッセージ(2) 強くなる

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 家族からのメッセージ, 東日本大震災体験談

東日本大震災から、1年が経とうとしています。

現在、気仙沼を離れて生活しているためか、いまだに実感があまりわきません。
こちらも多少傷跡がありますが、ほとんど震災前と変わらないようです。

震災から1週間後、気仙沼へ帰ることができました。
街並みは変わり果て、母、祖父母とは望んでいなかった形での再会。
人生の中でこれほどつらいことはないだろうと思います。

そんな中でも、社員のためと体に鞭を打って働く父の姿にとても感じるものがありました。
まだ安否のわからない状況の中でも、仕事をこなし、合間に情報を集めたりと相当な苦労だったと思います。

正直、私は今の仕事を続けていいのか迷っていました。
そんな中、父の姿や父の言葉に勇気をもらい仕事を続けることができました。
会社を退職するにあたり、大きな思いを胸に 「お疲れ様でした」 と伝えたいです。

ふと、気仙沼で生活していたことをよく思い出します。
その頃は普通だったことが今では思い出です。
何気ない会話、作ってくれたご飯の味、迷惑をかけてしまったこと、車での送り迎え、喧嘩したこと。
そして、私が夢に向かってる間ずっと応援してくれました。

JRへ就職が決まったときや、運転士の試験に合格したとき、一緒に喜んでくれました。
その支えがあったからこそ、今では一人前の運転士としてやっています。
本当にたくさん迷惑かけてばかりで、何もしてあげなれなかった自分が悔しいです。

1度でいいから仕事の風景を見せたかったです。

息子

今まで思い出として記憶にあったことより、当たり前の事だったことが失われたとき、その当たり前だったことがいかに素晴らしいことだったのかと感じました。
皮肉にも失って輝くものもあるのだと思います。

思い出のものもほとんどなくし、私の記憶がすべてです。
1つ1つの記憶、思い出を大切に胸にしまい、3人への感謝の気持ちを一生忘れず、3人の分まで背負って生きて行こうと思います。

代償はとても大きいのもとなりましたが、この震災をひとつの試練だと思い、その試練を乗り越え成長していきます。
その時、天国の3人が自分の一人前の男としてみてくれる気がします。

そして、少しでも多くの人へ、この震災を経験したことで学んだことを伝えていきたいと思います。

本当にこの1年は早かったです。
今後はまだまだ時間がかかりますが、力強く復旧・復興、そして何気ない日常を取り戻すため、日々やれることに全力で取り組み、私たちへ、そして天国の3人へ幸が来ることを願います。

編集後記

息子が子供の頃は、男同士、衝突したことも多々ありました。

こいつは、ちゃんとした社会人になれるのだろうか? と心配したこともありましたが、自分の夢を実現させ、今では自慢できる息子です。

息子は、私が女房と結婚した歳を超えました。
早く、亡き女房みたいな女性と巡り合い、結婚し、家族を増やしてもらいたいものです。

家族からのメッセージ(3) 私のこころ-1  につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

3月12日の行動(5) 実家での出来事

工場に戻る際、山道のルートを変え、○○小学校付近の伯母(父の妹)の家に立ち寄りました。 伯母の

記事を読む

no image

3月16日の行動(1) 製品初出荷!

3/16(水)の朝になりました。 この日は、いろいろな事があり、いろいろな事を行いました。 震災

記事を読む

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じることは、残された家族・親族との絆

記事を読む

no image

私の家族(6) 女房の死亡届・火葬

父の死亡届で経験していますので、女房の時はスムーズでした。 この時にはスクーターが届いており、

記事を読む

さいごに(2) 帰宅許可について

今回、奇跡的に工場社員の犠牲者はいませんでしたが、大震災・大津波警報発令の直後の帰宅許可は、工場責任

記事を読む

no image

私の家族(3) 父の死亡届

K次長と気仙沼市役所に到着した時は、既に暗くなってきて、当時、市役所も停電状態で、発電機による電気供

記事を読む

no image

生産再開へ(3) 電気と水道の復旧

3月は年度末対応として、工場は製品在庫品の出荷、及び、可能な範囲での製品及びパーツの組立に注力してい

記事を読む

no image

3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気

時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです

記事を読む

no image

支援物資(4) 食と住

支援物資を何にするか?を考える場合、 “衣食住”に分けられる。 “他の人だけでなく被災者

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2

震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いま

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑