私の家族(2) 父の死亡確認
翌日(3/18)の午後、K次長にも立ち会ってもらい、父の死亡確認を行うことになりました。
初めに遺体リスト(32番)を確認すると、父の氏名が入っているのです。
なぜ、名前が分かったかというと、父が軽トラックに乗ったまま流され、車の中で発見され、その車の車検証から車の所有者が判明し行政区長の立会確認にて父とほぼ確定したとのことでした。
車の中で流されて亡くなった人は、発見も早く、車検証や免許証などから身元判明も早かった様です。
死体検案書には死亡した場所が記載されており、隣の行政区だったのですが、後で確認したところ、女房の車より直線では自宅に近い、くぼみの様なところに軽トラックが流されており、(確か東京)消防署が遺体を発見した印が車につり下がっていました。
その後、安置所の体育館に案内されるのですが、まず、警察官が中に入って、遺族が入って大丈夫かどうか確認します。
多分、検死している場所と思われますが、そのエリアだけはビニールシートで覆われ、その中は見えない様に配慮していました。
遺体番号で分かると思いますが、その時は体育館には、まだ、空きスペースがまだまだあった記憶があります。
棺桶が間に合わず、ビニールシートに包まれたまま放置されている遺体もありました。
父は既にビニール袋の中に入れられ棺桶の中に入っていました。
まず棺桶の顔の部分を空け、顔を見るとすぐに父と分かりました。
ちょっと、苦しかった様な顔ですが、傷等の損傷はなく、安らかに眠った表情でした。
その後、遺留品も見せてもらいましたが、明らかに父が普段着ていた衣類でした。
父は几帳面な性格で、なにをやるにしても準備万端、時間厳守・・・・。
一番早く、すんなり身元判明に至ったところは父らしいな~、
と思わずにはいられませんでした。
ここでバカ息子、親不孝ぶりを曝露します。
涙を止めることが出来ず、拝むのですが、父の冥福よりも、
“じいちゃん(親父)よ!より子を発見させてくれ!”
って祈ったのでした。
その後、受付の部屋に戻り、A3用紙の左半分が空白のままの死亡届、右側半分が死体検案書(記入済み)の用紙を受領し、その足で次長にも同行してもらい、気仙沼市役所に死亡届を提出しに行きました。
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