*

私の家族(2) 父の死亡確認

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 東日本大震災体験談, 私の家族

翌日(3/18)の午後、K次長にも立ち会ってもらい、父の死亡確認を行うことになりました。

初めに遺体リスト(32番)を確認すると、父の氏名が入っているのです。
なぜ、名前が分かったかというと、父が軽トラックに乗ったまま流され、車の中で発見され、その車の車検証から車の所有者が判明し行政区長の立会確認にて父とほぼ確定したとのことでした。

車の中で流されて亡くなった人は、発見も早く、車検証や免許証などから身元判明も早かった様です。

死体検案書には死亡した場所が記載されており、隣の行政区だったのですが、後で確認したところ、女房の車より直線では自宅に近い、くぼみの様なところに軽トラックが流されており、(確か東京)消防署が遺体を発見した印が車につり下がっていました。

その後、安置所の体育館に案内されるのですが、まず、警察官が中に入って、遺族が入って大丈夫かどうか確認します。
多分、検死している場所と思われますが、そのエリアだけはビニールシートで覆われ、その中は見えない様に配慮していました。

遺体番号で分かると思いますが、その時は体育館には、まだ、空きスペースがまだまだあった記憶があります。
棺桶が間に合わず、ビニールシートに包まれたまま放置されている遺体もありました。

父は既にビニール袋の中に入れられ棺桶の中に入っていました。
まず棺桶の顔の部分を空け、顔を見るとすぐに父と分かりました。
ちょっと、苦しかった様な顔ですが、傷等の損傷はなく、安らかに眠った表情でした。
その後、遺留品も見せてもらいましたが、明らかに父が普段着ていた衣類でした。

父は几帳面な性格で、なにをやるにしても準備万端、時間厳守・・・・。
一番早く、すんなり身元判明に至ったところは父らしいな~、
と思わずにはいられませんでした。

ここでバカ息子、親不孝ぶりを曝露します。
涙を止めることが出来ず、拝むのですが、父の冥福よりも、

“じいちゃん(親父)よ!より子を発見させてくれ!”

って祈ったのでした。

その後、受付の部屋に戻り、A3用紙の左半分が空白のままの死亡届、右側半分が死体検案書(記入済み)の用紙を受領し、その足で次長にも同行してもらい、気仙沼市役所に死亡届を提出しに行きました。

私の家族(3) 父の死亡届 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

生産再開へ(1) 気持ちの切替

3/末になると、会社としても年度末対応の結果として上半期が終わり、4月からの下半期を向かえる時期です

記事を読む

no image

支援物資(4) 食と住

支援物資を何にするか?を考える場合、 “衣食住”に分けられる。 “他の人だけでなく被災者

記事を読む

no image

3月12日の行動(4) 予想を遥かに超える津波

あるべき物が何もないんです。 そしてある訳がない物があるんです。 我が家の庭に、小型

記事を読む

no image

3月14日の行動(3) 情報基地

千厩(岩手県一関市)での買い物を終え、工場に戻ると、既に、海外工場出向組、気仙沼出身組が2台の車で無

記事を読む

no image

生産再開へ(5) プロジェクト体制

4/4(月)、大震災以降、初めて工場全社員を対象とした出社がスタートしました。 まず、全体の朝

記事を読む

no image

震災から4年になるね

じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか? ケンカしないで、安らか

記事を読む

no image

3月11日の出来事(1) 会議中の食堂で

2011年3月11日 14時46分 私はじめ工場幹部は、食堂にて、月1回の定例である“課長会議”の開

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(8) 一番伝えたいこと

私は、毎年 お母さんの実家へ夏休みと冬休みに5日間ぐらい泊まっていました。 ですが、この東日本

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2

震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いま

記事を読む

no image

生産再開へ(2) 本社出張

今になると、翌日(4/1)、どのようなルートでビジネスホテルから本社まで行ったのか記憶が曖昧ですが、

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑