生産再開へ(2) 本社出張
今になると、翌日(4/1)、どのようなルートでビジネスホテルから本社まで行ったのか記憶が曖昧ですが、無事に本社につきました。
電動シェーバー派の私はカミソリでのひげ剃りは苦手で、震災以降、その行為を行う気力も立たず、本社には震災以降、ひげを剃らない無精ひげのままで、それも私服での訪問でした。
本社に着いて、とにかく違和感があったのは、 “普段の本社” だったのです。
永年勤続表彰も普通に行っていた様でした。
そうなんだ。宮城工場は大変な状況でも、本社は通常の業務をこなしていかなければならないならないんだな~。
って自分を納得させようとしても、どうもひっかかるんです。
本社に対策本部はないの!?
情報共有すべき “見える化” はやっていないの?
私は異次元から来たお客様?
はじめに、営業部長から、工場に頑張ってもらって予想以上の売上を上げることが出来たよ!って、3月末までの受注・売上データを提示してもらいました。
これまでは、いままでやってきたこと(製品出荷)と、金額が全然結びついていなかったので、資料を見て初めて、当初の売上見通しから、相当な金額が少なかった実態を認識し、申し訳なく、逆にそれでいて、納期遅れ等が生じても、キャンセルになることも少なく、受注残が、その分増え、お客様が、工場が生産再開し製品を出荷するまで待って頂いている状況を知り、悔し涙と感謝の涙を、止めることが出来ませんでした。
社長、常務と打ち合わせを行い、最後に本社全員を対象に毅然とした挨拶を行うつもりが、涙の挨拶になってしまい、その後、Y氏と工場に向かうのでした。
本社に来て良かったんだろうか?
何か不思議な感覚で、更に、その日はポカポカ陽気で熱い位・・・。
厳寒だった大震災から3週間しか立っていない状況で、工場と本社のギャップを感じながら、異次元の世界へ戻っていくのでした。
Y氏には、 『移動中、熟睡するからな~!』 って言ったものの、相変わらず熟睡できず、途中、仙台で “避難用炊飯ジャー” を購入し工場に戻りました。
人の習慣というものは面白いもので、その日、停電復旧は認知していても、工場玄関に入る際、自動ドアを手で開けようとした瞬間に、自動で開いてビックリするのでした。
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