*

私の家族(1) 父の発見情報

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 東日本大震災体験談, 私の家族

当分の間、私の家族のことについて、お付き合いください。

私の家族は、父、母、妻(より子)、長男、長女の2世帯6人家族でした。
長男はJR貨物に就職し〇〇駅付近の社宅、長女は東京の専門学校生で、1人アパート暮らしでしたので、大震災時には4名が自宅に住んでいたことになり、大震災時に自宅にいなかった私含め3名が助かり、家族が半減してしまったことになります。

私が小学2年生の時に本家から分家し、父は養殖漁業を主として、3人の子供(私と妹2人)を育て上げ、母は父の手伝いをしながらの専業主婦でした。

子供の頃の暮らしは裕福とは言えず、私達兄妹は海の仕事を強制的に手伝いながらの生活で、そのような中、バカ息子が高専に入学したいと、家を離れての寮生活に、更に我が家を苦しい生活にさせるのでした。

なぜ、高専に入学したかったかと言うと、とにかく、過酷な労働条件でも裕福な生活が出来ない養殖漁業の跡継ぎにはなりたくない!
ということと、
高校入試の前の試し的な受験をしたら、間違って合格してしまい、あと受験勉強したくない!
との思いから、駄々をこねて入学させてもらった、という感じです。

父は、そのころ気仙沼水産高校(現気仙沼向洋高校)が家の直ぐそばに来るので、そこに入学してもらい、家業を継いでもらいたい思いはあったと思いますが、口には出さず、私と母に丸め込まれるのでした。

さて、3/17日、4トントラックで本格的に製品出荷を開始する当日、私の父が見つかった、と言う情報が入ってきたのです。
製品出荷が終わってからだと思いますが、初めに階上中学校の避難所に行ったところ、行政区長さんが立会い、父であることを確認したらしいとのことでした。
すぐに行方不明届けを出した、遺体安置所の階上小学校に出向いたら、その安置所は既に一杯になり、隣地区の面瀬小学校の体育館に、今後の遺体は収容されるとのこと。

ガソリンがないんだよな~、と思いながらも、面瀬小学校の受付教室に行ったのですが、まだ、公表、死亡確認は出来ないとのこと。
理由は、まだこの遺体安置所まで到達していない、又は、来ていても検死作業が終わっていない、との事でした・・・。
(後で分かったのですが、遺体数が多すぎて検死担当が不足状態とのことでした)

この日は、なんの成果もなく、工場に帰ることになったのです。

あ!成果はあったんです。
この日、地元の消防団の知り合いが、我が家らしい残骸を見つけ、その中から、(娘の)リックサック一杯にアルバムなどの写真を詰め込んで避難所に届けていたことが分かり、それを受けとることが出来たのです。

私の家族(2) 父の死亡確認 つづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

支援物資(4) 食と住

支援物資を何にするか?を考える場合、 “衣食住”に分けられる。 “他の人だけでなく被災者

記事を読む

no image

生産再開へ(4) 工業用水と通勤

沢水の摂取場所(水量との関係)と水質の関係を調査し、加工工程の工業用水として使用することができるか?

記事を読む

さいごに(3) 最終回、退職のご挨拶

とうとう最終回になりました。 3.5ヶ月もの間、お付き合い頂きありがとうございました。 大変

記事を読む

no image

生産再開へ(6) 常務が大余震を・・・

本格的に生産が再開される見通しになった4月7日、震災以降、本社経営陣として、初めて常務が工場に入りま

記事を読む

no image

支援物資(6) タイミングと目的

“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの” “提供するタイミングで支援

記事を読む

no image

3月12日の行動(5) 実家での出来事

工場に戻る際、山道のルートを変え、○○小学校付近の伯母(父の妹)の家に立ち寄りました。 伯母の

記事を読む

no image

私の家族(2) 父の死亡確認

翌日(3/18)の午後、K次長にも立ち会ってもらい、父の死亡確認を行うことになりました。 初め

記事を読む

no image

さいごに(1) 雲の遥か

長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。 私は大震災前まで歌を聴いて泣けるこ

記事を読む

no image

3/17~31の活動(1) 協力体制

これからは日付毎ではなく、分野毎に発信していきます。 3/17(木)、この日から地元の運送業者

記事を読む

no image

支援物資(3) 衣食住の衣

支援物資を何にするか?を考える場合、“衣食住”に分けられる。 提供受けた側の経験談として、 “

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑