さいごに(1) 雲の遥か
長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。
私は大震災前まで歌を聴いて泣けることなど、滅多にありませんでした。
ところが、気仙沼で活躍しているシンガーソングライターの熊谷育美さんの
“雲の遥か”
は聴く度に涙が溢れこぼれ落ちます。
紹介させてください。
当然ですが、音声付きですので、会社でアクセスする際は要注意です。
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=suri4Y9XgPY[/youtube]
この歌は大震災直前に出来ていた歌なそうで、震災以降は地元被災者の方々の応援歌的存在なそうです。
しかし、私にとって、現時点では応援歌にはなっていません。
あまりにも現状の私の心境が、そのまま歌になっている感じの方が強いのです。
応援歌どころか、普段には見せない、我慢して、前向きに生きようと見せている自分の心の中をえぐられたような感じになり、どうしても、惨めさ、情けなさの方が出てしまい、我慢出来ず泣けてしまいます。
何度聴いてもです。
今回の東日本大震災の記事においては、会社・仕事に関することだけでなく、私の家族、生活面の事についても敢えて紹介させて頂きました。
家族に関する入力時は、フラッシュバックし、さすがに辛かったです。
なぜ、紹介したか言うと、
何のために働いているの!?
会社の目的は利益を上げること!
そしてその一部から社員の給与・賞与等の報酬をもらう!
その報酬によって、
“家族が安心し幸せに生活できる”
“楽しく、豊かに暮らせる”
だから、やり甲斐も求め、一生懸命頑張る、昇格・昇給を目指す・・・・。
この当たり前のことを、同じような生活を続けていくと忘れがちになってしまいます。
私としては普通に幸せな家庭生活でしたが、結果的に今回の大震災によって、家族を失ってしまった結果としては、会社で働く本来の目的を軽視しすぎ、
“家族を守る”
という根本的な部分に欠陥があったということだと思います。
こんな馬鹿な社員がいた。
ということを再認識して頂きたいのです。
社員それぞの生活環境の中で、震災・人災のリスクの性質や大きさは同じではありません。
自らの命を含め、家族を守るためには、震災・人災のリスクについて、本気になって話し合い、
“未然防止”に努めるか!?“
を実践してもらいたいのです。
確かに今回の様な大震災の発生確率は低いです。
“おらいまで(津波)来たら気仙沼が終わる”
“なんとかなる、大丈夫だろ”
こんな、考え・行動が、結果的に大切な家族を失い、人生を180℃変えてしまった馬鹿社員になってもらいたくないのです。
“こうしておけば” と後悔しても遅いのです。
スポンサードリンク
関連記事
-
-
生産再開へ(1) 気持ちの切替
3/末になると、会社としても年度末対応の結果として上半期が終わり、4月からの下半期を向かえる時期です
-
-
3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気
時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです
-
-
生産再開へ(3) 電気と水道の復旧
3月は年度末対応として、工場は製品在庫品の出荷、及び、可能な範囲での製品及びパーツの組立に注力してい
-
-
家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2
震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いま
-
-
支援物資(5) 初動判断
これまでは、ボランティア的な支援物資に関して考察してきましたが、工場再開、災害復旧のために必要不可欠
-
-
3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・
14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家
-
-
3月15日の行動(2) 戦場の中の様な
自宅付近を確認後、次に目指したのは気仙沼市内にある病院です。 国道45号線に平行する山沿いの農道を
-
-
3月16日の行動(1) 製品初出荷!
3/16(水)の朝になりました。 この日は、いろいろな事があり、いろいろな事を行いました。 震災
-
-
生産再開へ(6) 常務が大余震を・・・
本格的に生産が再開される見通しになった4月7日、震災以降、本社経営陣として、初めて常務が工場に入りま
-
-
ご宿泊者に追想(コピー版)をプレゼント
このブログのベースとなっている、自費製作した『追想』のコピー版を、ある京都の中学の先生のご好意により
スポンサードリンク
- PREV
- 生産再開へ(7) 体制の変化
- NEXT
- さいごに(2) 帰宅許可について