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さいごに(1) 雲の遥か

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 さいごに, 東日本大震災体験談

長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。

私は大震災前まで歌を聴いて泣けることなど、滅多にありませんでした。
ところが、気仙沼で活躍しているシンガーソングライターの熊谷育美さんの

“雲の遥か”

は聴く度に涙が溢れこぼれ落ちます。

紹介させてください。
当然ですが、音声付きですので、会社でアクセスする際は要注意です。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=suri4Y9XgPY[/youtube]
この歌は大震災直前に出来ていた歌なそうで、震災以降は地元被災者の方々の応援歌的存在なそうです。

しかし、私にとって、現時点では応援歌にはなっていません。

あまりにも現状の私の心境が、そのまま歌になっている感じの方が強いのです。
応援歌どころか、普段には見せない、我慢して、前向きに生きようと見せている自分の心の中をえぐられたような感じになり、どうしても、惨めさ、情けなさの方が出てしまい、我慢出来ず泣けてしまいます。
何度聴いてもです。

今回の東日本大震災の記事においては、会社・仕事に関することだけでなく、私の家族、生活面の事についても敢えて紹介させて頂きました。

家族に関する入力時は、フラッシュバックし、さすがに辛かったです。

なぜ、紹介したか言うと、
何のために働いているの!?

会社の目的は利益を上げること!
そしてその一部から社員の給与・賞与等の報酬をもらう!
その報酬によって、
“家族が安心し幸せに生活できる”
“楽しく、豊かに暮らせる”
だから、やり甲斐も求め、一生懸命頑張る、昇格・昇給を目指す・・・・。

この当たり前のことを、同じような生活を続けていくと忘れがちになってしまいます。

私としては普通に幸せな家庭生活でしたが、結果的に今回の大震災によって、家族を失ってしまった結果としては、会社で働く本来の目的を軽視しすぎ、

“家族を守る”

という根本的な部分に欠陥があったということだと思います。

こんな馬鹿な社員がいた。
ということを再認識して頂きたいのです。

社員それぞの生活環境の中で、震災・人災のリスクの性質や大きさは同じではありません。

自らの命を含め、家族を守るためには、震災・人災のリスクについて、本気になって話し合い、
“未然防止”に努めるか!?“
を実践してもらいたいのです。

確かに今回の様な大震災の発生確率は低いです。

“おらいまで(津波)来たら気仙沼が終わる”
“なんとかなる、大丈夫だろ”

こんな、考え・行動が、結果的に大切な家族を失い、人生を180℃変えてしまった馬鹿社員になってもらいたくないのです。

“こうしておけば” と後悔しても遅いのです。

さいごに(2) 帰宅許可について につづく

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