*

3月12日の行動(2) レスポンスの早さ

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月12日の行動, 東日本大震災体験談

確か工場点検後、避難場所の玄関フロアに戻った時だったと思いますが、地元運送業者のD社の専務さんが心配で駆けつけていました。

D社の社長さんは地元企業の集まりの会の会長、そして私が副会長の関係で、週一回、関東からの定期便をお願いしている会社です。

このレスポンスの早は、今考えればD社の企業体質であり、その後、大手の運送会社が機能不能の状態の中で、相互の生き残り策として、これまで以上の連携につながるのでした。

その時点でひらめいたことは、年度末のこの状況、生産はすぐに再開できないにしても、製品の出荷は出来るか!?です。

専務さんに事情を話し、次のようなやりとりがあったと記憶しています。
*D社さんは大丈夫だったのか?
*会社(D社)は多少、水が上がったがトラックは無事。
*国道は寸断されて通行不能、しかし、4トントラックであれば、迂回路を通り運送できるかも知れない。
*製品運搬のピストン輸送をお願いするかもしれないので社長に伝えてもらいたい。

さて、この頃から一晩、工場に避難した社員も、家族、自宅を心配し帰り始めました。

M氏家族が、当分、工場に避難(待機)している、との話から、M氏に留守番をお願いし、私も車で山道の迂回路を通り、避難場所になっている気仙沼市立階上中学校に向かいました。

気が動転していたせいか、記憶が薄いのですが、避難所の中学校体育館には、着の身着のままの状態で避難した沢山の人がいる状況の中、一角に、ご近所の集団を見つけ、私の家族の消息を確認するも不明のまま・・・。

唯一の手がかりは、その日、女房がワカメの加工の手伝いに行っていた家族に会うことができ、地震直後に自宅、家族(愛犬含む)が心配とのことで、車で自宅に戻ったとのこと。

その後、近所(隣の家)で社員のT夫妻家族と会うことが出来ました。
そこで聞いた話は衝撃的だったことだけは覚えています。
1)会社から早く出て国道を走り、御伊勢浜(海水浴場)方面に曲がったところで、津波が押し寄せてくるのが見え、Uターンして九死に一生を得た。
2)T夫妻の自宅は流されてないらしい・・・。
3)上の娘も危なかった。
(後で分かったが、途中まで私の家族と避難したらしい)

自分の目で確かめるしかない!

3月12日の行動(3) 震災翌日、自宅へ・・・ につづく

スポンサードリンク

関連記事

ご宿泊者に追想(コピー版)をプレゼント

このブログのベースとなっている、自費製作した『追想』のコピー版を、ある京都の中学の先生のご好意により

記事を読む

no image

3月14日の行動(4) 当たり前の生活

千厩(岩手県一関市)の宿の情報基地から、K次長と帰路に着く頃には暗くなり、実家経由にて帰るのですが、

記事を読む

no image

3月15日の行動(5) Y氏の体験談

14日の夕方から15日にかけて、本社から災害支援として駆けつけてくれた、Y氏の体験談を紹介します。

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(9) お元気ですか?-1

お父さん、お母さん、より子お姉ちゃん お元気ですか? そちらの様子はどんな感じなのでしょうか?

記事を読む

no image

支援物資(6) タイミングと目的

“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの” “提供するタイミングで支援

記事を読む

no image

支援物資(5) 初動判断

これまでは、ボランティア的な支援物資に関して考察してきましたが、工場再開、災害復旧のために必要不可欠

記事を読む

no image

生産再開へ(7) 体制の変化

プロジェクト・分科会の体制・メンバーは生産再開・災害復旧の内外的な変動に伴い、刻々と変化していきまし

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(10) お元気ですか?-2

より子お姉ちゃん、膝の調子はどうですか? 無理をしていませんか? 愛犬チーズはおりこうさんにして

記事を読む

no image

3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・

14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2

震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いま

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(2)

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(1)

東日本大震災から10年経過しようとしています。 これまでブログの

景勝地 岩井崎の復旧・復興

やっと観光地の復旧・復興へ   未曾有の災害からの復

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じるこ

→もっと見る

PAGE TOP ↑