*

震災から4年になるね

公開日: : 最終更新日:2015/03/11 家族からのメッセージ, 東日本大震災体験談

じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか?
ケンカしないで、安らかに、私たち家族を見守ってくれていますか?
ママ、チーズ(愛犬だったゴールデンレトリバー)と毎日、散歩しいていますか?

大震災から4年になるね。

みんなに聞いてみたいことは、震災後に長年勤めた会社を辞めて脱サラしたことをどぉ思っているか?・・・。
ご近所付き合いは両親に任せっきり、子育ては共稼ぎだったママに任せっきり、家庭のことは3人に任せっぱなし。
会社の仕事以外、何もしない、何も出来ないバカ息子、バカ亭主が、みんなのお陰で、取締役工場長の立場にまでなったのに、その会社を辞めたのだから・・・。

養う家族、守るべき家族を守れなかった俺には、重責な仕事を継続する意味がなくなったのよ。

喜怒哀楽の中で、大震災では一生分の怒哀を味わい、これからは怒哀を捨て、喜楽な第二の人生を歩もうって決めたのよ。

多くの時間を地元で過ごし、失った物を少しでも取り戻し、生活再建を優先させたかったのよ。

でも、言い訳だよね。
『逃げ』だよね。

怒っている?
呆れ返ってる?

でもさー。

震災の翌年、残してくれた田んぼで、初めてのコメ作りにトライし、収穫した新米を、みんなに送って食べてもらったぞ。

その翌年には、寄付して頂いた漁船にて、アワビとウニが収穫できるようになったぞ。
今年のアワビ漁は、まだまだ納得していないけど、ベテラン漁師からは、アワビ取りの名人だったじいちゃんの息子と、言われるくらいになったぞ。

自宅跡地でコテージ開業し、それまでやったことない掃除やベッドメイクを真面目にこなし、お客さんからは、
『キレイで居心地良かったよ!』
『楽しかったよ!』
『また来るね!』
って、生き甲斐のある仕事になっているぞ。

ちょっとはホメてくれるかな~?

子ども達は、辛い想いを胸にしまって、それぞれの道を歩んでいるので安心して。

俊宏(息子)はパパがママと結婚した歳を超えちゃったよ!
その辺の気配が全然ないので面倒みてくれないないかな~。
家族を増やしてくれないかな~。

香寿美(娘)は、地元の近くということで仙台に就職したけど、自分の夢に向かって東京に再就職。
震災後、一番、心配したけど試練を乗り越え、少しづつ強くなっているみたいだぞ。

住宅再建はコテージ(流失した自宅跡地)のすぐそばの防災集団移転事業に参加し、今年の10月頃に造成完了し引き渡し予定で、それから建設開始だから引っ越しは来年になるな~。
盆正月には、子供、嫁に行った妹家族、総勢十数名が帰ってきて、楽しくゆっくり過ごせる『実家』を復活させるから!

ママ・・・。
夢の中でもよいから、叱咤激励に会いに来てくれよ!
待ってっから。

スポンサードリンク

関連記事

no image

3月12日の行動(1) 工場内の確認

ほとんど眠ることはできず翌朝(土曜日)になりました。 まず、私が行った行動は、明るくなってきた

記事を読む

家族からのメッセージ(3) 私のこころ-1

3月の震災から1年が経とうとしています。 この1年、あっという間に過ぎて行った気がします。

記事を読む

no image

3月11日の出来事(1) 会議中の食堂で

2011年3月11日 14時46分 私はじめ工場幹部は、食堂にて、月1回の定例である“課長会議”の開

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(6) 見守っていてね

3.11 絶対に忘れることのない日です。 私が20年間生きた中でこんな悔しい思いをしたのは初

記事を読む

no image

3月13日の行動(2) 軽自動車の借用

ガソリンが手に入らない状況で、いかに連絡ができるところまで移動し、本社や親戚に連絡をつけるか!?

記事を読む

no image

支援物資(3) 衣食住の衣

支援物資を何にするか?を考える場合、“衣食住”に分けられる。 提供受けた側の経験談として、 “

記事を読む

no image

3月12日の行動(2) レスポンスの早さ

確か工場点検後、避難場所の玄関フロアに戻った時だったと思いますが、地元運送業者のD社の専務さんが心配

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(8) 一番伝えたいこと

私は、毎年 お母さんの実家へ夏休みと冬休みに5日間ぐらい泊まっていました。 ですが、この東日本

記事を読む

ご宿泊者に追想(コピー版)をプレゼント

このブログのベースとなっている、自費製作した『追想』のコピー版を、ある京都の中学の先生のご好意により

記事を読む

家族からのメッセージ(2) 強くなる

東日本大震災から、1年が経とうとしています。 現在、気仙沼を離れて生活しているためか、いまだに

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑