*

私の家族(10) 愛犬チーズ

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 東日本大震災体験談, 私の家族

M氏家族には愛犬 “R” がいて、一緒に避難生活をしていましたが、あまり他人にはなつかないらしい “R” が、犬好きの私に馴染むまでに時間はかからず、 “お手” を要求すると、仕方なさそうな顔で従い、 “伏せ” を要求すると、文句を言いながら従う仲でした。

M氏のお父さんが(大震災の)3年程前に亡くなった時、お母さんの落ち込み様は尋常じゃなかったそうで、その時に “R” を買ってあげて、お母さんが生きるためのパートナー(家族)になったそうです。

人によって、ペットへの考え方は千差万別であり、家族としての “わがままR” と一緒に避難するには、普通の避難所では難しいところもあり、M氏家族は、 愛犬“R” と、私のために、工場に避難してもらった様なものです。

私と比較できないレベルで動物(犬、猫)が大好きだったのが女房でした。

絶対に人に近寄らない野良猫が、庭で洗濯物を干している女房の足にしっぽをからめて、なついていた光景は信じられませんでした。

愛犬チーズはゴールデン・レトリーバーで、仙台の妹のところから子犬の時に譲ってもらい、7歳位(人間ではおばさん)になりましたが、相変わらず “やんちゃ娘” でした。

チーズにとって、女房は“良き相棒”、私は大好きなドライブに連れていってもらえる“ご主人様”だったと思います。

そして、女房と私のケンカ仲介役でもあったのです。

私の車の助手席はチーズの専用シートでした。

キャンピングトレーラー(これも津波で流されてしまいましたが)を引っ張り、女房とチーズとして、京都、大阪まで旅行したことは、一生の思い出です。

本当に利口で、臆病で、元気な愛犬でした。

おもちゃのボールを投げると、ちゃんとくわえて戻ってくるし、食事の前の “待て!” はよだれを垂らしながら、私かドックフードをジーッと見つめて、 “よし!” まで我慢出来る子でした。

休日、T家で掃除機をかけ始めると、その掃除機の周波数的?音が苦手な様で、網戸や窓をひっかいては、SOSを求め、家の中に避難する始末・・・。
(普段は外で飼っていました)

また、軽トラックや宅急便のトラックのエンジン音には闘争心が湧く様で、いなくなるまで吠えまくる日課でした。

休みの日に工場に来て、離されるのが大好きで、芝生を駆け回り、しばらくすると、丸まって申し訳なさそうな顔をしてウンチする姿はいまでも思い出します。

ゴールデン・レトリーバー特有の海(水)も大好きでした。
泳ぎも得意でした。

女房と一緒に避難し、津波に遭遇してしまい、得意の泳ぎでもダメだった様です。

チーズは未だに見つかっていませんが、天国で、ずーっと、女房と一緒に散歩していると思います。

私がもう一度、犬を飼いたいと思う様になった時、少しは立ち直る兆候かも知れません。

DSC00044
お昼寝中のチーズ

 

DSC00048
海水浴の後にシャンプー・水洗いし、毛を拭いたタオルをかぶせ、“動くなよ~!”って命令して撮った写真です。

支援物資(1) 感謝と感激 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

3月11日の出来事(5) 唯一の情報入手源

もう少し、通信不能の状況についてお付き合いください。 震災後、数日間の唯一の情報入手源はラジオ

記事を読む

no image

私の家族(3) 父の死亡届

K次長と気仙沼市役所に到着した時は、既に暗くなってきて、当時、市役所も停電状態で、発電機による電気供

記事を読む

no image

私の家族(5) 女房の死亡確認

以前に、女房の死亡確認において、情けない失態をさらすことになることに触れましたが、恥を忍んで発信しま

記事を読む

no image

3月11日の出来事(6) 避難場所での一夜

3月11日に戻ります。 暗くなり、小雪が舞うきびしい寒さ、断続的に余震が続く中、当工場の非難場

記事を読む

no image

生産再開へ(4) 工業用水と通勤

沢水の摂取場所(水量との関係)と水質の関係を調査し、加工工程の工業用水として使用することができるか?

記事を読む

no image

支援物資(5) 初動判断

これまでは、ボランティア的な支援物資に関して考察してきましたが、工場再開、災害復旧のために必要不可欠

記事を読む

no image

生産再開へ(1) 気持ちの切替

3/末になると、会社としても年度末対応の結果として上半期が終わり、4月からの下半期を向かえる時期です

記事を読む

no image

3月12日の行動(3) 震災翌日、自宅へ・・・

自分の目で確かめるしかない! 車でどこまで行けるか分からなかったし、避難所の中学校から自宅まで

記事を読む

3月15日の行動(1) 車の発見

翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても

記事を読む

no image

私の家族(8) 母と次女

死亡確認した当日(4/3)に市役所に死亡届を提出し、4/15に女房と同じ千厩での火葬と決まりました。

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(2)

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(1)

東日本大震災から10年経過しようとしています。 これまでブログの

景勝地 岩井崎の復旧・復興

やっと観光地の復旧・復興へ   未曾有の災害からの復

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じるこ

→もっと見る

PAGE TOP ↑