*

支援物資(5) 初動判断

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 支援物資について, 東日本大震災体験談

これまでは、ボランティア的な支援物資に関して考察してきましたが、工場再開、災害復旧のために必要不可欠な経費的物資についても、触れたいと思います。

3/14の朝には、海外出向組と本社組(工場出身者)が車で工場に到着したという、この行動だけをみるとレスポンスは非常に早かったです。

3/13に東京出発(震災から2日後)ですから、こちらとの情報交換もほとんど出来ない状況にて、本社がいかに的確な応用的な判断で、

“今、工場が必要とする物資は何か!?”

をリストアップし確保し工場に持ち込む。
このことが、工場再開、災害復旧に大きな力になるのです。

これは自主的なボランティア的な支援物資とは違います。
工場再開、災害復旧のために必要不可欠な経費的物資です。

当時貴重だったガソリン、非常食、長靴、軍手、薬、電池、ライト、寝袋、衣類、飲料水、カイロ、ラジオなど、本当に当時になくてはならない物、手に入らない物が、3/14の朝というスピードで届いたのです。

このタイミングでもし “電気” 、停電復旧見通しがない状況下での “発電機” も一緒に到着していれば、工場再開、災害復旧の方向性は全然違っていたと思います。

停電などで電気がない生活を経験すれば、電気があるかないかで生活、仕事が全然違うことは言うまでもないと思います。

残念なことに本社で “発電機が必要では!?” という話になったらしいですが、結論としては、“数日で停電復旧するだろう” ということになり、初動判断としては、
“発電機は不要”
となったらしいのです。

それを聞いた時、震災直後、情報寸断状態の工場の社員以上に、本社の方々は、未曾有の津波の実態をテレビ等のメディアを通じて画像で見ていながら、なんで “数日で停電復旧するだろう” の判断になるのか!?
理解できませんでした。

私は本社に、『停電復旧まで2,3ヶ月かかると思う』 と報告しました。

実際には、工場は1ヶ月もかからず復旧しましたが、それは、大口ユーザーとして、本社や行政から東北電力に圧力をかけてもらっての復旧期間であり、国道から工場までの道路沿いの民家も、復旧優先された工場の恩恵を受けて早く復旧しましたが、一歩外れた民家は、実際に震災から2ヶ月以上かかって復旧しているのです。

その後、慌てて発電機を手配開始したらしいですが、既に関東に在庫はなく、最終的には九州・福岡で2台ゲット(60Hz仕様・・・)し、運搬期間も加わり、結果的に工場に発電機が届いたのは19日朝、使用開始が19日~という結果だったのです。

もし、すぐ発電機を手に入れ、3/14の朝に着いていたら・・・。

支援物資(6) タイミングと目的 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

3/17~31の活動(4) システム対応

大震災以前は、関東の事業所に設置してある、コンピュータシステム(販売管理及び生産管理システム)に、工

記事を読む

家族からのメッセージ(2) 強くなる

東日本大震災から、1年が経とうとしています。 現在、気仙沼を離れて生活しているためか、いまだに

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2

震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いま

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(9) お元気ですか?-1

お父さん、お母さん、より子お姉ちゃん お元気ですか? そちらの様子はどんな感じなのでしょうか?

記事を読む

no image

3月15日の行動(4) お裾分け

遺体安置所から工場に戻り、義姉連中は実家に始めに帰り、夕方近くに、K次長、Y氏の弟と一緒に、実家に向

記事を読む

no image

3月12日の行動(6) 震災翌日の夜

常務への連絡終了後は、仕事モードから家庭モードへの切替です。 子供たち、妹たちからのメールを受

記事を読む

no image

3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気

時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです

記事を読む

no image

震災から4年になるね

じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか? ケンカしないで、安らか

記事を読む

no image

支援物資(3) 衣食住の衣

支援物資を何にするか?を考える場合、“衣食住”に分けられる。 提供受けた側の経験談として、 “

記事を読む

no image

私の家族(4) 父の火葬

翌日(3/19)は土曜日ですが、約20名の社員のご協力にて製品出荷を行った日です。 私の方は、

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(2)

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(1)

東日本大震災から10年経過しようとしています。 これまでブログの

景勝地 岩井崎の復旧・復興

やっと観光地の復旧・復興へ   未曾有の災害からの復

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じるこ

→もっと見る

PAGE TOP ↑