*

3月15日の行動(5) Y氏の体験談

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月15日の行動, 東日本大震災体験談

14日の夕方から15日にかけて、本社から災害支援として駆けつけてくれた、Y氏の体験談を紹介します。

14日夕方・・・
工場長、K次長、Yの3名で千厩に向かいました。
1件目の旅館は断られ、2件目の旅館で素泊まりでしたが宿泊する事ができました。
食事無し、風呂無しでしたが、電気が通っており、旅館の自動販売機で当時貴重だった水を大量購入した事を覚えています。

気がつけば、食料は全て工場に支援物資と置いてきており、たまたまカバンに入っていたリンゴ1個が当日の食事でした。

旅館では携帯電話の通信を活用し、ネットやメール送受信が出来ましたので、本社や(関東の)事業所との情報のやり取りを行いました。
どんなやり取りをしたかご紹介しますと、
①更なる支援物資要請(お米、紙おむつ、ミルク、懐中電灯、ガソリンなど)
②安否情報の提供
③本社から工場までの道路事情報告
④システムの受注入力、製品出荷の対応確認
⑤携帯電話の利用状況報告
⑥第2陣支援部隊の方への情報提供
⑦緊急車輌申請の対応
などです。

夜は頻繁に襲ってくる余震と、家に残してきた家族の事が気になって、なかなか寝れませんでした。

翌朝、中継基地を千厩から工場長の奥様の実家に変更との要請があるのですが、この時点で車のガソリンは半分以下・・・
食料、ガソリン、従業員の方の安否、不安だらけの移動です。

工場長からメール受信した住所にてナビを頼りに移動中、ガソリンスタンドに車の列が!ガソリンが入れられる!と即、その列に加わったところで、工場長から電話があり、事情を話ししたら、本当にガソリン売っているのか確認した方が良いと指示があり、車から下りてガソリンスタンドまで行くと、

販売しているのは灯油だけ・・・。

ムダな時間とガソリンを消費し、がっかりしながら、工場長の奥様の実家に向かうのでした。

何とか工場長の奥様の実家で合流し、2階に情報基地を設置するのもつかの間、工場長はあと(留守番)宜しく!みたいな感じでお姉さん、妹さんなどで気仙沼に向かい、私と初対面の工場長の奥様のお母さんの二人きりになったのです。

工場長の奥様の実家は電気・水道が普通に使え、奥様のお母さんに温かい食事をご馳走になりました。
前日にリンゴ1個しか口にしていない私にとって一生忘れることはない食事になったのです。

心身ともに疲れていた私ですが、工場長のお母さんにエネルギーを充填してもらい工場へ戻ることになるのでした。

3月16日の行動(1) 製品初出荷! につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

3月14日の行動(3) 情報基地

千厩(岩手県一関市)での買い物を終え、工場に戻ると、既に、海外工場出向組、気仙沼出身組が2台の車で無

記事を読む

no image

3/17~31の活動(2) 対策本部

工場2階の応接室、会議室は対策本部として、煩雑な部屋に変化していきました。 白板を4つ準備し、

記事を読む

no image

3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気

時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです

記事を読む

no image

3月15日の行動(3) 行方不明届

市内の病院から地元の気仙沼階上に戻り、どういう結果であれ、早く発見してあげることに優先すべき、との義

記事を読む

no image

3月11日の出来事(1) 会議中の食堂で

2011年3月11日 14時46分 私はじめ工場幹部は、食堂にて、月1回の定例である“課長会議”の開

記事を読む

no image

支援物資(1) 感謝と感激

3月19日の朝に、それまでの支援物資の量とは比較にもならない、沢山の支援物資を、日本全国のみならず、

記事を読む

no image

私の家族(8) 母と次女

死亡確認した当日(4/3)に市役所に死亡届を提出し、4/15に女房と同じ千厩での火葬と決まりました。

記事を読む

no image

生産再開へ(5) プロジェクト体制

4/4(月)、大震災以降、初めて工場全社員を対象とした出社がスタートしました。 まず、全体の朝

記事を読む

家族からのメッセージ(1) 

『追想』を自費製作するにあたり、残された家族からのメッセージを添えることにしました。 追想は一

記事を読む

no image

3月15日の行動(2) 戦場の中の様な

自宅付近を確認後、次に目指したのは気仙沼市内にある病院です。 国道45号線に平行する山沿いの農道を

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑