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ご宿泊者に追想(コピー版)をプレゼント

このブログのベースとなっている、自費製作した『追想』のコピー版を、ある京都の中学の先生のご好意により、コテージキクタにご宿泊するご希望のお客様にプレゼントします。 その先生とのおつき合いは、コテ

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減災の準備 飲料水の備蓄について

人が生きていく上で必要不可欠な、飲料水の備蓄について考えてみたいと思います. 東日本大震災の時、私は工場に避難していましたが、その工場では水を大量に使用するために、上水道水を一旦、受水槽に貯め、

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減災の準備 趣味だって貴重な財産

大震災の減災に非常に役に立つ、『趣味』について、家庭菜園やアウトドアを提案させて頂きましたが、それ以外でも趣味を持っていることは、生活再建や生きるための潤滑剤として大いに役に立ちます。 その際に

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震災遺構 南三陸町防災対策庁舎は県有化に!

震災遺構として保存の是非で町が二分していた問題ですが、2015年6月30日、南三陸町町長が県の県有化案を受け入れることを表明しました。 私の推測通り、 『震災遺構として保存するために20年間の

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減災の準備 役に立つ趣味は?

安全な所に土地を確保し有効活用にも関連し、大震災の減災に非常に役に立つ、『趣味』について提案したいと思います。 家庭菜園は非常食の補完に! 一つは『家庭菜園』ですね。 予想はできると思いますが、

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減災の準備 土地の有効活用

お金持ちの人は、不動産(土地や別荘など)の確保は簡単だと思いますので、一般的な家庭において、減災に役立つ土地の確保と有効活用について提案したいと思います。 減災を考える場合、まずは過酷な避難生活

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減災の準備 貴重な不動産

とにかく、大震災(特に大津波)に遭うと、被災地にとって、無事だった住宅や土地が貴重な財産になることを痛感しました。 とにかく、被災地では住める家、土地が激減し、避難生活が長期化する訳です。

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減災の準備 避難先の選択

前回は多くの被災者が体験した、学校の体育館や教室、行政施設の集会場や施設の通路など、普段、生活する様な場所でないところでの過酷な避難生活について触れました。 それ以外の避難先の選択はないの!?

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減災の準備 避難生活の低減

東日本大震災で痛感したことは、自然災害に対し防ぐことが出来るという甘い考えは通用しないということでした。 東日本大震災を受け、全国の地震や津浪の予知が見直しされ、南海トラフ地震など、予想される地

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お金の話 タンス預金は絶対厳禁!

自然災害のリスクが高まっている中で、お金の運用は非常に重要になってきます。 その中で、タンス預金は絶対に止めるべき です。 大震災に遭ってしまうと、一刻を争い人命を守ることが最優先になり、

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お金の話 津浪に地震保険が有効!?

大震災など自然災害に遭ってしまっても、最低限の減災として人命を守ることを再優先になりますが、次に大事になるのは、現実的に 『お金』 になります。 自然災害に遭ってしまった場合、命は助

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自然災害には防災より減災

2015/04/03 | 防災・減災提言

東日本大震災で大ダメージを受けた私にとって、 自然災害には『防災』は通用せず『減災』の意識と準備・行動が重要!! というのが大きな教訓になりました。 自然災害において、 『我が家は

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震災遺構 南三陸町防災対策庁舎(4)

南三陸町の防災対策庁舎の保存問題。 これまでの経緯と、力関係と、民主主義の進め方(多数決など)を考慮すると、結論としては、 『震災遺構として保存するために20年間の県有化の棚上げ』 に向かう

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震災遺構 南三陸町防災対策庁舎(3)

石巻市大川小学校の保存の議論 南三陸町の防災対策庁舎を震災遺構として残すか否かの議論の参考になるのが、石巻市の大川小学校の保存に関する動きです。 大川小学校は東日本大震災の大津波によって、学校

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震災遺構 南三陸町防災対策庁舎(2)

南三陸町の防災対策庁舎の震災遺構として保存するか否かの問題について、今後の推移について冷静に考察してみようと思います。 1. ボールは町側に投げられて 町長は昨年まで沈黙を守ってきました。 解体

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震災遺構 南三陸町防災対策庁舎(1)

『6mの津浪がきます。避難してください!』 南三陸町の職員で危機管理課に所属し、防災放送担当だった遠藤美希さんが、大津波が来襲する直前まで、住民に高台への避難を呼びかけ続け、そのおかげで多くの住

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震災遺構 気仙沼市のケース

気仙沼市の震災遺構としては、私の目の前に存在している被災した旧気仙沼向洋高校の校舎にすんなり決まりそうです。 気仙沼市の震災遺構として、当初、鹿折地区に打ち上げられた巻き網漁船 『第18共徳丸(

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防潮堤問題(4) 考えるスパンの違い

あくまで個人的な傾向的な見解として受け止めてもらいたいです。 被災者は行政が提示した防潮堤案を容認し、被災しなかった人や第三者は防潮堤案に意義(高すぎるとか)を発している傾向があるように思えます

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防潮堤問題(3) コンクリート

私たち被災者は、好き好んでコンクリート塀に囲まれるような防潮堤を望んでいるわけではありません。 住宅を建てられるかどうかの基準となる、『危険区域』の設定に直結する、防潮堤などの津波を防御する構造

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防潮堤問題(2) 危険区域

防潮堤の高さが直結している『まちづくり』の中で、被災地・被災者にとって、直接影響し、判断を迫られたこととして、『危険区域の設定』があります。 これはどういうことかというと、L1の津波を守る防潮堤

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日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(2)

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(1)

東日本大震災から10年経過しようとしています。 これまでブログの

景勝地 岩井崎の復旧・復興

やっと観光地の復旧・復興へ   未曾有の災害からの復

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じるこ

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