生産再開へ(3) 電気と水道の復旧
3月は年度末対応として、工場は製品在庫品の出荷、及び、可能な範囲での製品及びパーツの組立に注力していましたが、一方で、加工部門も含め、生産再開に向けての準備も本社の支援を頂きながら進めていました。
製品を産出するには、部品の加工部門の生産再開が不可欠ですが、加工部門の再開には、電気と水道の復旧が不可欠でした。
いづれのライフラインも工場の力だけではどうにもならないので、本社の対応に一任する状況でした。
電気については大口ユーザーとして、東北電力に行政や本社から圧力をかけてもらい、優先度を上げての復旧を要請しました。
電気は沿岸沿いの電柱を介して送電していましたが、◯◯地区のメインの送電塔が津波で損壊、さらに沿岸国道沿いの電柱が津波で倒壊し、電線が破断という状況からは、震災直後は本当に見通しが立たない状況でした。
今でも3/31の夜に送電開始出来たことは信じられない位の早さだと思います。
復旧見通しの情報は錯綜し、行政の幹部の方から、3/31の当日に電気復旧の見通しの連絡を受け、本社に報告し確認を依頼するも、その後に本社の別な方から、
『東北電力から、あと1週間程度で復旧見通しの連絡があった』
との連絡を受ける始末に、
『本社が工場を混乱させてどうするんだ!』
って憤慨したこともありました。
3/31はE運送業者さんのトラックに便乗して、本社への出張の為、ビジネスホテルに向かっている最中(夜)に、K次長から、これから送電開始の立会いする旨の連絡を受けた時は、『よっしゃー!』 って感じでした。
その夜は、現場の管理・監督者を中心に停電復旧に向け、奮闘して頂きました。
水道の方は、もっと致命的で、〇〇地区の浄水場が津波で壊滅的な被害に遭い、当時は復旧まで3ヶ月はかかる見通しとの行政からの回答。
即ち、電気より相当遅れる見通しから、水道復旧を待っていられないとの結論に至り、何とか沢水を工業用水としてポンプアップして供給できないか!?
と検討を始めるのでした。
とにかく、水は〇〇工程をメインにフル稼働では約30トン/日も使います。
まずは工場の近くに在住している社員が 『昔は飲んでいた』 という沢水が候補にあがるも水量が不足気味・・・。
もう少し下流に行くと流量が十分な支流と合流するところを発見しました。
しかし、その流量の多い支流は、 “❏❏会社からの処理水” であることが判明。
その会社に出向き事情を説明し、採水箇所に立会い、ポンプアップでの工業用水での使用を打診したところ、その会社からは、排水規制の基準以内に処理している水、との見解で、採水して使用するかどうかは当社の判断次第ということになりました。
したがって、その水を〇〇工程の処理水に使って良いかは水質分析するしかない!
という結論に至り、本社に、流量不足気味な上流の沢水と、下流の支流と合流するそれぞれの水を採取し、水質分析を依頼するのでした。
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