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支援物資(6) タイミングと目的

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 支援物資について, 東日本大震災体験談

“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの”

“提供するタイミングで支援してもらいたい物資が変わる” 

今回、本社から衛星携帯電話が3/26に届きました。
工場では要請していませんので、本社が必要と判断し手配したと思われます。

Y氏が来た頃、わざわざガソリンを費やし、情報基地として携帯で連絡取り合っていた、3/14近辺に入手できていれば、被災した工場関係者には考えもつかなかった緊急通信手段として、それは相当の効果があったと思われます。

しかし、3/26では・・・・。
既に、工場内でも携帯の電波がつながる様な状況に変化していたタイミングでの入手は、結果的に一度も使用することなく、本社に返送することになったのです。

発電機の初動判断に関連するかもしれませんが、判断が遅く提供するタイミングを失うと、不要な経費となってしまうことになります。

必要不可欠な経費的物資においては、
“物資の目的”
も提供側は注力する必要があります。

今回、工場から“テレビ”の依頼を行いました。
確か発電機とあまり違わない時期に “小型テレビ(DVD再生付)” は到着しました。
早速、見ようとセッティングしようとしたら、アンテナがないのです・・・。

テレビを依頼した目的はテレビを飾っておくことでもなく、DVDを見る訳でもありません。
“画像での震災の状況や復旧の状況を把握する為” なんです。
結果的に、発電機によって、電気が使える様になっても、テレビが見られる様になるには、更に期間がかかり、ラジオの情報でしか把握できない状況が続くのでした。

中には、さすが!っていう物資もありました。

工場からは “自転車” で依頼したと記憶しているのですが、 “工場と目的地との往復に活用” と目的を判断してもらった様で、工場に来た方は把握していると思いますが、国道から工場までは “なだらかな登りが約2km” つづき、普通のママチャリでは大変です。
それを察してもらった様で普通のママチャリ以外に、電動自転車を2台手配し送ってくれました。

私も電動自転車を初体験させて頂きましたが、工場に来るには、ママチャリとは雲泥の差です。

息子が帰って来た時、工場と地元(約10km)をママチャリで往復させましたが、行きはよいよい、帰りは大変だった様で、若さも勝てず、途中からママチャリを押して歩いてくる始末でした・・・。

生産再開へ(1) 気持ちの切替 につづく

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