*

3月15日の行動(2) 戦場の中の様な

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月15日の行動, 東日本大震災体験談

自宅付近を確認後、次に目指したのは気仙沼市内にある病院です。
国道45号線に平行する山沿いの農道を走り、無事に到着しました。

私にとって、大震災以降、女房の実家-工場-地元の避難所の行動範囲だけだったので、被災地の範囲では、初めての遠出になりますが、野次馬根性で市内の被災状況を見てみたいとかの考えは一切起きず、逆に、見たくない心境と、より安全に早く義姉に娘さんを会わせたい心境が、安全なルートを運転させました。

途中、姪家族が住んでいるアパートを訪れましたが不在でしたので、病院に直行することにしました。

病院に着くと、脇にはでかい発電機がうなりを上げ運転、自家発電にて開業していました。

中に入ると溢れんばかりの人、人、人・・・。
まるで戦場の中の病院という感じで切迫感、緊張感が張りつめていました。
気仙沼市内の多くの病院も津波で大きな被害を受けており、無事だった病院に病人、怪我人が殺到したと思われます。

あとで、石巻赤十字病院のドキュメンタリー等も見ましたが、当時の医師、看護婦さん達は震災直後はプロフェッショナルに徹し、経営や給与等を度外視して市民の命を守ろうと必死だったと思われます。

やっと見つけた姪は、気丈にテキパキと仕事をこなしている状況で、その姿を見た時には、自分より姪がすごいことしている!って圧倒されました。

が、義姉や私達を見つけるなり、緊張感が崩れたのか、あっという間に看護婦から娘に変身して涙の対面でした。

姪の旦那さん、子供さん、嫁に行った実家(内湾近くで津波で半壊)の家族も全員無事とのことで、安心するも、姪には女房のことを話さなければならなかったのですが、姪はうちの女房を “ねーちゃん” 呼びで慕っていたので、相当にショックだった様です。

やはり、姪は、震災以降はアパートに帰ることも出来ず、病院に泊まり込み、多忙な状況で看護している状況でした。

再会を喜び、物資の差入れを置き、帰ることになるのですが、その時、義姉が持っているB社の携帯電話はバリ3の通信状態だったのです。
B社が近くの市役所付近に移動中継基地を設置し、災害復旧や情報発信に貢献していることを聞き、私が契約しているA社との違いを感じました。

3月15日の行動(3) 行方不明届 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

3/17~31の活動(1) 協力体制

これからは日付毎ではなく、分野毎に発信していきます。 3/17(木)、この日から地元の運送業者

記事を読む

no image

3月12日の行動(2) レスポンスの早さ

確か工場点検後、避難場所の玄関フロアに戻った時だったと思いますが、地元運送業者のD社の専務さんが心配

記事を読む

no image

3月14日の行動(3) 情報基地

千厩(岩手県一関市)での買い物を終え、工場に戻ると、既に、海外工場出向組、気仙沼出身組が2台の車で無

記事を読む

no image

私の家族(7) 母の死亡確認

最後に発見された母の時まで、何体の遺体の顔写真をみたことか・・・。 きれいなままの顔もあれば、

記事を読む

no image

3/17~31の活動(5) 仮事務所の増殖

発電機が手に入り、組立できる製品の部材の出庫や組立作業を開始するとなると、製品物流以上のコンピュータ

記事を読む

no image

生産再開へ(2) 本社出張

今になると、翌日(4/1)、どのようなルートでビジネスホテルから本社まで行ったのか記憶が曖昧ですが、

記事を読む

no image

震災から4年になるね

じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか? ケンカしないで、安らか

記事を読む

no image

私の家族(1) 父の発見情報

当分の間、私の家族のことについて、お付き合いください。 私の家族は、父、母、妻(より子)、長男

記事を読む

さいごに(2) 帰宅許可について

今回、奇跡的に工場社員の犠牲者はいませんでしたが、大震災・大津波警報発令の直後の帰宅許可は、工場責任

記事を読む

3月15日の行動(1) 車の発見

翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(2)

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

震災遺構での語り部活動(1)

東日本大震災から10年経過しようとしています。 これまでブログの

景勝地 岩井崎の復旧・復興

やっと観光地の復旧・復興へ   未曾有の災害からの復

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じるこ

→もっと見る

PAGE TOP ↑