*

私の家族(5) 女房の死亡確認

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 東日本大震災体験談, 私の家族

以前に、女房の死亡確認において、情けない失態をさらすことになることに触れましたが、恥を忍んで発信します。

息子と合流し、父の火葬(3/22)の前ですから、3/19か20頃だったと思います。
父が見つかり、遺体収容も増加傾向の中、女房、母の発見の可能性が高まってきている状況で、息子と面瀬の遺体収容所に出向いたことがありました。

新たに発見された遺体リストの中から、女房の年齢や体格に近い遺体を2体見つけ、顔写真の確認に入り、“違うよな~”って息子と話したのですが、とにかく遺体を見よう、と当時はまだ父の遺体がある、安置所に入り、警察官から2体の顔を見せてもらっての2人の判断は、 “両方違う!” だったのです。

当時の記憶は、1人は完全に違う、もう1人は、 “顔の輪郭は似ているがこんな顔、髪型じゃない” だったのです。
どこかで、完全一致でないと認めたくない心境があったのかも知れません。
とにかく、後で分かったことは、遺体は発見が遅れる都度、生前の顔とは変化していくのです。

父の火葬が終わった後の3/24に叔母(父の弟の奥さん)から電話があり、

『よりちゃんらしい遺体があるんだけど』

『何番?(遺体番号の確認です)』

『62番!』

『それは、前に息子と見て違うって判断したんだけど・・・』

『写真だけじゃなくて実際に遺体、遺留品みてそう思うんだけど・・・』

叔母の住居は遺体安置所に近く、毎日の様に女房と母を発見しようと通ってくれていました。
そこまで言われると、さすがに自信がなくなり、義姉に連絡したら、即答で午前中で仕事を切り上げ向かうとのこと。

その前に息子と叔母に会って再確認するのですが、私と息子は顔だけで確定出来ず、その時初めて遺留品を見せてもらったのです。

すると、このジャンバー・・・。
この作業用手袋!女房が前勤めていた会社から内証でもらってきていたヤツ!
(普通の人が持っている訳ない・・・・)、
このキャラクター入りの靴下、女房くらいしか履かない・・・。

その後、顔を見てみると、“あー女房だよな”って変わってきたのです。
極めつけは、義姉が到着し遺留品等見ることなく、遺体の顔を見た瞬間、

『あー!より子だ!・・・』

って泣き崩れる姿を見て、私も涙が止まらなくなったのですが、その涙には、早くに死亡確認できたのに遅れてしまった情けなさが混じっているのでした・・・。

その後、警察の手続きに入り、死体検案書を確認すると、発見後の検案日は、父の検案日の翌日(3/19)だったのです。

この教訓は工場の全体朝礼にて、家族・親族が行方不明で遺体確認時には、顔だけで判断するのではなく、遺留品も確認することが重要!と喚起するのでした。

私の家族(6) 女房の死亡届・火葬 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

私の家族(10) 愛犬チーズ

M氏家族には愛犬 “R” がいて、一緒に避難生活をしていましたが、あまり他人にはなつかないらしい “

記事を読む

no image

支援物資(4) 食と住

支援物資を何にするか?を考える場合、 “衣食住”に分けられる。 “他の人だけでなく被災者

記事を読む

no image

私の家族(4) 父の火葬

翌日(3/19)は土曜日ですが、約20名の社員のご協力にて製品出荷を行った日です。 私の方は、

記事を読む

no image

3月11日の出来事(6) 避難場所での一夜

3月11日に戻ります。 暗くなり、小雪が舞うきびしい寒さ、断続的に余震が続く中、当工場の非難場

記事を読む

no image

私の家族(8) 母と次女

死亡確認した当日(4/3)に市役所に死亡届を提出し、4/15に女房と同じ千厩での火葬と決まりました。

記事を読む

no image

3月11日の出来事(1) 会議中の食堂で

2011年3月11日 14時46分 私はじめ工場幹部は、食堂にて、月1回の定例である“課長会議”の開

記事を読む

no image

3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気

時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです

記事を読む

no image

3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・

14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家

記事を読む

no image

生産再開へ(7) 体制の変化

プロジェクト・分科会の体制・メンバーは生産再開・災害復旧の内外的な変動に伴い、刻々と変化していきまし

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(9) お元気ですか?-1

お父さん、お母さん、より子お姉ちゃん お元気ですか? そちらの様子はどんな感じなのでしょうか?

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑