私の家族(10) 愛犬チーズ
M氏家族には愛犬 “R” がいて、一緒に避難生活をしていましたが、あまり他人にはなつかないらしい “R” が、犬好きの私に馴染むまでに時間はかからず、 “お手” を要求すると、仕方なさそうな顔で従い、 “伏せ” を要求すると、文句を言いながら従う仲でした。
M氏のお父さんが(大震災の)3年程前に亡くなった時、お母さんの落ち込み様は尋常じゃなかったそうで、その時に “R” を買ってあげて、お母さんが生きるためのパートナー(家族)になったそうです。
人によって、ペットへの考え方は千差万別であり、家族としての “わがままR” と一緒に避難するには、普通の避難所では難しいところもあり、M氏家族は、 愛犬“R” と、私のために、工場に避難してもらった様なものです。
私と比較できないレベルで動物(犬、猫)が大好きだったのが女房でした。
絶対に人に近寄らない野良猫が、庭で洗濯物を干している女房の足にしっぽをからめて、なついていた光景は信じられませんでした。
愛犬チーズはゴールデン・レトリーバーで、仙台の妹のところから子犬の時に譲ってもらい、7歳位(人間ではおばさん)になりましたが、相変わらず “やんちゃ娘” でした。
チーズにとって、女房は“良き相棒”、私は大好きなドライブに連れていってもらえる“ご主人様”だったと思います。
そして、女房と私のケンカ仲介役でもあったのです。
私の車の助手席はチーズの専用シートでした。
キャンピングトレーラー(これも津波で流されてしまいましたが)を引っ張り、女房とチーズとして、京都、大阪まで旅行したことは、一生の思い出です。
本当に利口で、臆病で、元気な愛犬でした。
おもちゃのボールを投げると、ちゃんとくわえて戻ってくるし、食事の前の “待て!” はよだれを垂らしながら、私かドックフードをジーッと見つめて、 “よし!” まで我慢出来る子でした。
休日、T家で掃除機をかけ始めると、その掃除機の周波数的?音が苦手な様で、網戸や窓をひっかいては、SOSを求め、家の中に避難する始末・・・。
(普段は外で飼っていました)
また、軽トラックや宅急便のトラックのエンジン音には闘争心が湧く様で、いなくなるまで吠えまくる日課でした。
休みの日に工場に来て、離されるのが大好きで、芝生を駆け回り、しばらくすると、丸まって申し訳なさそうな顔をしてウンチする姿はいまでも思い出します。
ゴールデン・レトリーバー特有の海(水)も大好きでした。
泳ぎも得意でした。
女房と一緒に避難し、津波に遭遇してしまい、得意の泳ぎでもダメだった様です。
チーズは未だに見つかっていませんが、天国で、ずーっと、女房と一緒に散歩していると思います。
私がもう一度、犬を飼いたいと思う様になった時、少しは立ち直る兆候かも知れません。
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