*

支援物資(1) 感謝と感激

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 支援物資について, 東日本大震災体験談

3月19日の朝に、それまでの支援物資の量とは比較にもならない、沢山の支援物資を、日本全国のみならず、中国の販社・工場からも、無事に受け取ることが出来ました。

まずは、量の多さにビックリしたと共に、言葉に表すことが出来ないほどの感謝と感激を受けました。

それ以降も社内外から多くの支援物資が届くことになるのです。

4月になってからですが、私の息子がJR貨物に2年前に入社し、黒磯駅(那須塩原)を拠点に勤務していましたが、黒磯機関区の区長様はじめ、社員の方5名と一緒に車2台で工場に来社され、その内1台のワゴン車には支援物資が満載状態で、全て工場に提供して頂きました。

息子が那須に在住し、直接被災した訳でもないのに、当社と直接、取引ある会社でもないのに、支援物資の量にはビックリし、息子がすばらしい職場、先輩方にお世話になっていることを知って、涙を止めることが出来ませんでした。

3月中の支援物資の量は、M氏家族だけで管理するのは大変な位の量で、食堂に陳列するのが精一杯という感じでした。

被災者の中でも、度々工場に来ることが出来る社員への配給と、工場までの距離や避難所の関係などで、なかなか工場にくることが出来ない社員への配給の不平等差が生じたりと、なかなか、製品出荷活動をメインにやっていた時期においては、その辺の管理が不十分でした。
(現実的には避難所単位でも提供物資の不平等感はあったそうです)

そのような中、活躍して頂いたのが本社支援スタッフのY氏とO氏です。

私たちから要請した訳でも無いのに、自らの足で避難所に出向き、被災者社員の近況確認や、必要物資をリストアップし、本社へ支援物資を要請したり、その支援物資が揃うと、また、避難所に出向いて配給するという役割を行って頂きました。

今回の未曾有の大震災の中で、役に立つ社員と、そうでない社員の違いは、

“未経験、ルールも通用しない状況下” において、いかに、

“今、必要な事は?”、
“被災者が思いつかない必要な支援は?” を常に
“3現主義(現場、現物、現実)” にて考え、

“それを的確な時期に行動に移す”

がポイントではないかと感じます。

このことは、支援物資の選定にも大きく関連すると思います。

支援物資(2) 震災直後は・・・ につづく

スポンサードリンク

関連記事

さいごに(3) 最終回、退職のご挨拶

とうとう最終回になりました。 3.5ヶ月もの間、お付き合い頂きありがとうございました。 大変

記事を読む

no image

生産再開へ(3) 電気と水道の復旧

3月は年度末対応として、工場は製品在庫品の出荷、及び、可能な範囲での製品及びパーツの組立に注力してい

記事を読む

no image

私の家族(9) 葬儀

4/15(金)に最後になった母の火葬が終わり、葬儀屋さんに3人の遺骨が仮安置して頂いた頃、工場はマイ

記事を読む

no image

支援物資(4) 食と住

支援物資を何にするか?を考える場合、 “衣食住”に分けられる。 “他の人だけでなく被災者

記事を読む

no image

3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・

14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家

記事を読む

no image

3月11日の出来事(5) 唯一の情報入手源

もう少し、通信不能の状況についてお付き合いください。 震災後、数日間の唯一の情報入手源はラジオ

記事を読む

no image

3月16日の行動(4) 周知・認識不足

3/16(水)は、公私ともにターニングポイントになった日と前述した様に、非常に慌ただしく、精神的にも

記事を読む

no image

3月12日の行動(4) 予想を遥かに超える津波

あるべき物が何もないんです。 そしてある訳がない物があるんです。 我が家の庭に、小型

記事を読む

no image

私の家族(3) 父の死亡届

K次長と気仙沼市役所に到着した時は、既に暗くなってきて、当時、市役所も停電状態で、発電機による電気供

記事を読む

no image

生産再開へ(4) 工業用水と通勤

沢水の摂取場所(水量との関係)と水質の関係を調査し、加工工程の工業用水として使用することができるか?

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑