支援物資(1) 感謝と感激
3月19日の朝に、それまでの支援物資の量とは比較にもならない、沢山の支援物資を、日本全国のみならず、中国の販社・工場からも、無事に受け取ることが出来ました。
まずは、量の多さにビックリしたと共に、言葉に表すことが出来ないほどの感謝と感激を受けました。
それ以降も社内外から多くの支援物資が届くことになるのです。
4月になってからですが、私の息子がJR貨物に2年前に入社し、黒磯駅(那須塩原)を拠点に勤務していましたが、黒磯機関区の区長様はじめ、社員の方5名と一緒に車2台で工場に来社され、その内1台のワゴン車には支援物資が満載状態で、全て工場に提供して頂きました。
息子が那須に在住し、直接被災した訳でもないのに、当社と直接、取引ある会社でもないのに、支援物資の量にはビックリし、息子がすばらしい職場、先輩方にお世話になっていることを知って、涙を止めることが出来ませんでした。
3月中の支援物資の量は、M氏家族だけで管理するのは大変な位の量で、食堂に陳列するのが精一杯という感じでした。
被災者の中でも、度々工場に来ることが出来る社員への配給と、工場までの距離や避難所の関係などで、なかなか工場にくることが出来ない社員への配給の不平等差が生じたりと、なかなか、製品出荷活動をメインにやっていた時期においては、その辺の管理が不十分でした。
(現実的には避難所単位でも提供物資の不平等感はあったそうです)
そのような中、活躍して頂いたのが本社支援スタッフのY氏とO氏です。
私たちから要請した訳でも無いのに、自らの足で避難所に出向き、被災者社員の近況確認や、必要物資をリストアップし、本社へ支援物資を要請したり、その支援物資が揃うと、また、避難所に出向いて配給するという役割を行って頂きました。
今回の未曾有の大震災の中で、役に立つ社員と、そうでない社員の違いは、
“未経験、ルールも通用しない状況下” において、いかに、
“今、必要な事は?”、
“被災者が思いつかない必要な支援は?” を常に
“3現主義(現場、現物、現実)” にて考え、
“それを的確な時期に行動に移す”
がポイントではないかと感じます。
このことは、支援物資の選定にも大きく関連すると思います。
スポンサードリンク
関連記事
-
支援物資(6) タイミングと目的
“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの” “提供するタイミングで支援
-
生産再開へ(6) 常務が大余震を・・・
本格的に生産が再開される見通しになった4月7日、震災以降、本社経営陣として、初めて常務が工場に入りま
-
3月12日の行動(3) 震災翌日、自宅へ・・・
自分の目で確かめるしかない! 車でどこまで行けるか分からなかったし、避難所の中学校から自宅まで
-
ご宿泊者に追想(コピー版)をプレゼント
このブログのベースとなっている、自費製作した『追想』のコピー版を、ある京都の中学の先生のご好意により
-
3月15日の行動(1) 車の発見
翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても
-
さいごに(3) 最終回、退職のご挨拶
とうとう最終回になりました。 3.5ヶ月もの間、お付き合い頂きありがとうございました。 大変
-
3月14日の行動(4) 当たり前の生活
千厩(岩手県一関市)の宿の情報基地から、K次長と帰路に着く頃には暗くなり、実家経由にて帰るのですが、
-
支援物資(4) 食と住
支援物資を何にするか?を考える場合、 “衣食住”に分けられる。 “他の人だけでなく被災者
-
3月12日の行動(1) 工場内の確認
ほとんど眠ることはできず翌朝(土曜日)になりました。 まず、私が行った行動は、明るくなってきた
-
3月14日の行動(2) 避難物資の買物教訓
千厩町(一関市)の郊外の大手スーパーやホームセンターに開店待ちで並んでいる状況を無視し、私達は、どの
スポンサードリンク
- PREV
- 私の家族(10) 愛犬チーズ
- NEXT
- 支援物資(2) 震災直後は・・・