*

3月15日の行動(1) 車の発見

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月15日の行動, 東日本大震災体験談

翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備してもらい、簡易情報基地を設置、私と義姉、義妹夫婦の4人は、Y氏に情報基地担当及び実家の留守番をお願いし、気仙沼へと向かいました。

一度、工場によってから、気仙沼市内へは途中まで国道を通行できる状況になっており、それ以降はK次長に教えてもらった裏道を通ってのルートです。

決壊した国道は、凸凹片側通行だったのですが、日々、すこしづづですが、自衛隊の突貫工事にて、道幅は広くなり、がれきについても基幹道路を中心に除去され初め(脇に積み上げる)、私達の感触では、あっという間に国道がつながったというイメージです。
(ホント自衛隊には感謝感謝です!)

自宅付近に着いたら、1日来ないだけで、泥沼化した水は結構引いていました。

義姉、義妹夫婦を流出した自宅跡地などを案内し、私の家が流されたと思われる気仙沼向洋高校の方に下りて行き、女房の車を発見したのです。

“あ~・・・、より子の車だ!”

car

横倒しの状態でその上に松の木が寄りかかっている状態・・・。
この前までは泥沼化したところに水没していましたが、水が引いたために原形が現れてきたのです。
しかし、まだ水が残っており発見したところから、真っ直ぐには行ける状態ではなかったのです。

たどり着いて、中を確認しなければ!

左側は水溜まりというより泥の状態、底が分からない状況で、一か八か、がれきのタンスみたいな物を船の様にして泥への接触面積をふやし、それに乗って片足で漕いで進み、松の木にしがみつきながら、なんとか車にたどりつきました。

複雑な気持ちで車内を確認することになるのです。

もし居れば生存は絶望的だが発見できる。
居なければ居ないで行方不明が続く・・・・。

壊れた窓から内部を見るも、家族、愛犬の存在はなし。
ホッとした反面、絶望感が増し、これまで自宅の物は何も発見されていない状況につき、万一の場合を考え、遺品候補を集めねば!という考えになり、車の中の小物をかき集めるのでした・・・。

よく言われるのですが、TV等の映像とは違って、実際に知っている地区の震災後の状況を実際の目で見るのでは、悲惨さの伝わり方が全然違うそうです。

義姉、義妹は、着くなり、“エー!” “ウソー!” “何で!”という会話にならない言葉の連続でした。

この時期になると、私もそうですが、義姉、義妹も、生存に関しては、諦めざるを得ない心境になっていました。

どこに居て流されたんだろうか?
みんな一緒だったんだろうか?
どっちの方に流されたんだろうか?

心境は、どういう結果であれ、とにかく早く見つかってもらいたい、という様に変わってきているのです。

このころから、全国から招集された自衛隊や消防署、地元の消防団の懸命な捜索により、遺体が安置所(小学校の体育館等)にどんどん運びこまれている情報も入って来たのです。

3月15日の行動(2) 戦場の中の様な につづく

 

スポンサードリンク

関連記事

no image

家族からのメッセージ(9) お元気ですか?-1

お父さん、お母さん、より子お姉ちゃん お元気ですか? そちらの様子はどんな感じなのでしょうか?

記事を読む

no image

支援物資(5) 初動判断

これまでは、ボランティア的な支援物資に関して考察してきましたが、工場再開、災害復旧のために必要不可欠

記事を読む

no image

生産再開へ(6) 常務が大余震を・・・

本格的に生産が再開される見通しになった4月7日、震災以降、本社経営陣として、初めて常務が工場に入りま

記事を読む

no image

3月12日の行動(6) 震災翌日の夜

常務への連絡終了後は、仕事モードから家庭モードへの切替です。 子供たち、妹たちからのメールを受

記事を読む

no image

支援物資(6) タイミングと目的

“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの” “提供するタイミングで支援

記事を読む

no image

3月15日の行動(3) 行方不明届

市内の病院から地元の気仙沼階上に戻り、どういう結果であれ、早く発見してあげることに優先すべき、との義

記事を読む

家族からのメッセージ(2) 強くなる

東日本大震災から、1年が経とうとしています。 現在、気仙沼を離れて生活しているためか、いまだに

記事を読む

no image

生産再開へ(7) 体制の変化

プロジェクト・分科会の体制・メンバーは生産再開・災害復旧の内外的な変動に伴い、刻々と変化していきまし

記事を読む

no image

3月12日の行動(3) 震災翌日、自宅へ・・・

自分の目で確かめるしかない! 車でどこまで行けるか分からなかったし、避難所の中学校から自宅まで

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2

震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いま

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑