支援物資(5) 初動判断
これまでは、ボランティア的な支援物資に関して考察してきましたが、工場再開、災害復旧のために必要不可欠な経費的物資についても、触れたいと思います。
3/14の朝には、海外出向組と本社組(工場出身者)が車で工場に到着したという、この行動だけをみるとレスポンスは非常に早かったです。
3/13に東京出発(震災から2日後)ですから、こちらとの情報交換もほとんど出来ない状況にて、本社がいかに的確な応用的な判断で、
“今、工場が必要とする物資は何か!?”
をリストアップし確保し工場に持ち込む。
このことが、工場再開、災害復旧に大きな力になるのです。
これは自主的なボランティア的な支援物資とは違います。
工場再開、災害復旧のために必要不可欠な経費的物資です。
当時貴重だったガソリン、非常食、長靴、軍手、薬、電池、ライト、寝袋、衣類、飲料水、カイロ、ラジオなど、本当に当時になくてはならない物、手に入らない物が、3/14の朝というスピードで届いたのです。
このタイミングでもし “電気” 、停電復旧見通しがない状況下での “発電機” も一緒に到着していれば、工場再開、災害復旧の方向性は全然違っていたと思います。
停電などで電気がない生活を経験すれば、電気があるかないかで生活、仕事が全然違うことは言うまでもないと思います。
残念なことに本社で “発電機が必要では!?” という話になったらしいですが、結論としては、“数日で停電復旧するだろう” ということになり、初動判断としては、
“発電機は不要”
となったらしいのです。
それを聞いた時、震災直後、情報寸断状態の工場の社員以上に、本社の方々は、未曾有の津波の実態をテレビ等のメディアを通じて画像で見ていながら、なんで “数日で停電復旧するだろう” の判断になるのか!?
理解できませんでした。
私は本社に、『停電復旧まで2,3ヶ月かかると思う』 と報告しました。
実際には、工場は1ヶ月もかからず復旧しましたが、それは、大口ユーザーとして、本社や行政から東北電力に圧力をかけてもらっての復旧期間であり、国道から工場までの道路沿いの民家も、復旧優先された工場の恩恵を受けて早く復旧しましたが、一歩外れた民家は、実際に震災から2ヶ月以上かかって復旧しているのです。
その後、慌てて発電機を手配開始したらしいですが、既に関東に在庫はなく、最終的には九州・福岡で2台ゲット(60Hz仕様・・・)し、運搬期間も加わり、結果的に工場に発電機が届いたのは19日朝、使用開始が19日~という結果だったのです。
もし、すぐ発電機を手に入れ、3/14の朝に着いていたら・・・。
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