*

生産再開へ(5) プロジェクト体制

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 東日本大震災体験談, 生産再開に向けて

4/4(月)、大震災以降、初めて工場全社員を対象とした出社がスタートしました。

まず、全体の朝礼を行い、震災以降の状況や今後の生産再開、災害復旧について概要説明を行い、その後、幹部を対策本部に集まってもらい、生産再開、災害復旧に関するプロジェクト体制の原案を説明し、幹部の協力を求めました。

この時のレスポンス・判断はあっという間だった記憶があります。

『私がリーダーやります!』
『*〇〇課から**さんをメンバーとして出します。』

当時13程の分科会を設け、それぞれの問題、課題の解決に取り組んでもらいました。

生産部門、管理部門、調達部門などは生産再開に注力する必要があり、災害復旧の分科会については、それ以外の間接部門のスタッフを中心にリーダー・メンバーが選任され、本格的なプロジェクト活動が開始されたことになります。

これまでは製品出荷、生産再開に注力していましたが、それに加え、災害復旧に関するスタッフが充実したお陰で、この日からの変化は著しいものでした。

飲料水の確保として受水槽の下に穴を掘り、下側から容易に採水できる様にしたり、市からの給水車の飲料水を溜めておくタンクを購入し設置しました。

『被災者はお風呂に入りたいよな~』

のひと言から、工場の物置になっていたお風呂場をきれいに復元させ、タンクからポンプアップし、日中、男女1日交替でお風呂(シャワー付き)に入れる体制にしました。

また、洗濯機・乾燥機を準備し、工場で洗濯・乾燥が出来る体制にしました。
(当時、停電・断水が続き、洗濯に困っている社員が沢山いました)

支援物資は、食堂から別なフロアに移動し、女性陣が管理・配給し、食堂は震災前の状態(食事、全体朝礼が出来る体制)に戻しました。

それぞれの分科会のリーダー・メンバーが知恵を絞り、行動に移し、工場再開によって、生産再開だけでなく、私生活(特に被災者)においても、困っている状況を、工場にくれば少しでも解決・改善できるように、みんなで取り組んだのです。

特にお風呂は好評だった様です。(最初のころは予約でいっぱい)

私もみんなが帰ったあとに、ゆっくり入れてもらいました。
私とかが晩酌中に家族でお風呂をもらいに来る社員もいました。

気が利く、Y氏は高級石けんと高級シャンプーを準備してくれた様です。

生産再開へ(6) 常務が大余震を・・・ につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

私の家族(8) 母と次女

死亡確認した当日(4/3)に市役所に死亡届を提出し、4/15に女房と同じ千厩での火葬と決まりました。

記事を読む

no image

震災から4年になるね

じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか? ケンカしないで、安らか

記事を読む

no image

私の家族(10) 愛犬チーズ

M氏家族には愛犬 “R” がいて、一緒に避難生活をしていましたが、あまり他人にはなつかないらしい “

記事を読む

家族からのメッセージ(2) 強くなる

東日本大震災から、1年が経とうとしています。 現在、気仙沼を離れて生活しているためか、いまだに

記事を読む

no image

3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・

14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家

記事を読む

no image

3月15日の行動(5) Y氏の体験談

14日の夕方から15日にかけて、本社から災害支援として駆けつけてくれた、Y氏の体験談を紹介します。

記事を読む

no image

3月11日の出来事(6) 避難場所での一夜

3月11日に戻ります。 暗くなり、小雪が舞うきびしい寒さ、断続的に余震が続く中、当工場の非難場

記事を読む

no image

私の家族(3) 父の死亡届

K次長と気仙沼市役所に到着した時は、既に暗くなってきて、当時、市役所も停電状態で、発電機による電気供

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(7) 一生忘れないよ

おばあちゃん、おじいちゃん、より子ママ・・・ありがとう。 今まで本当にありがとう。 ただこの

記事を読む

no image

私の家族(4) 父の火葬

翌日(3/19)は土曜日ですが、約20名の社員のご協力にて製品出荷を行った日です。 私の方は、

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑