生産再開へ(5) プロジェクト体制
4/4(月)、大震災以降、初めて工場全社員を対象とした出社がスタートしました。
まず、全体の朝礼を行い、震災以降の状況や今後の生産再開、災害復旧について概要説明を行い、その後、幹部を対策本部に集まってもらい、生産再開、災害復旧に関するプロジェクト体制の原案を説明し、幹部の協力を求めました。
この時のレスポンス・判断はあっという間だった記憶があります。
『私がリーダーやります!』
『*〇〇課から**さんをメンバーとして出します。』
当時13程の分科会を設け、それぞれの問題、課題の解決に取り組んでもらいました。
生産部門、管理部門、調達部門などは生産再開に注力する必要があり、災害復旧の分科会については、それ以外の間接部門のスタッフを中心にリーダー・メンバーが選任され、本格的なプロジェクト活動が開始されたことになります。
これまでは製品出荷、生産再開に注力していましたが、それに加え、災害復旧に関するスタッフが充実したお陰で、この日からの変化は著しいものでした。
飲料水の確保として受水槽の下に穴を掘り、下側から容易に採水できる様にしたり、市からの給水車の飲料水を溜めておくタンクを購入し設置しました。
『被災者はお風呂に入りたいよな~』
のひと言から、工場の物置になっていたお風呂場をきれいに復元させ、タンクからポンプアップし、日中、男女1日交替でお風呂(シャワー付き)に入れる体制にしました。
また、洗濯機・乾燥機を準備し、工場で洗濯・乾燥が出来る体制にしました。
(当時、停電・断水が続き、洗濯に困っている社員が沢山いました)
支援物資は、食堂から別なフロアに移動し、女性陣が管理・配給し、食堂は震災前の状態(食事、全体朝礼が出来る体制)に戻しました。
それぞれの分科会のリーダー・メンバーが知恵を絞り、行動に移し、工場再開によって、生産再開だけでなく、私生活(特に被災者)においても、困っている状況を、工場にくれば少しでも解決・改善できるように、みんなで取り組んだのです。
特にお風呂は好評だった様です。(最初のころは予約でいっぱい)
私もみんなが帰ったあとに、ゆっくり入れてもらいました。
私とかが晩酌中に家族でお風呂をもらいに来る社員もいました。
気が利く、Y氏は高級石けんと高級シャンプーを準備してくれた様です。
スポンサードリンク
関連記事
-
-
私の家族(2) 父の死亡確認
翌日(3/18)の午後、K次長にも立ち会ってもらい、父の死亡確認を行うことになりました。 初め
-
-
私の家族(6) 女房の死亡届・火葬
父の死亡届で経験していますので、女房の時はスムーズでした。 この時にはスクーターが届いており、
-
-
3/17~31の活動(5) 仮事務所の増殖
発電機が手に入り、組立できる製品の部材の出庫や組立作業を開始するとなると、製品物流以上のコンピュータ
-
-
3月13日の行動(1) 安否確認
大震災から3日目(日曜日)の朝になりました。 翌朝には実家でアンテナが立っていた唯一の庭先の場所は
-
-
3/17~31の活動(1) 協力体制
これからは日付毎ではなく、分野毎に発信していきます。 3/17(木)、この日から地元の運送業者
-
-
家族からのメッセージ(10) お元気ですか?-2
より子お姉ちゃん、膝の調子はどうですか? 無理をしていませんか? 愛犬チーズはおりこうさんにして
-
-
家族からのメッセージ(5) 家族のつながり
目を閉じれば そこには懐かしい故郷の景色、幼い頃の楽しかった思い出。 そして優しかった父、母、
-
-
3月15日の行動(5) Y氏の体験談
14日の夕方から15日にかけて、本社から災害支援として駆けつけてくれた、Y氏の体験談を紹介します。
-
-
家族からのメッセージ(2) 強くなる
東日本大震災から、1年が経とうとしています。 現在、気仙沼を離れて生活しているためか、いまだに
-
-
3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・
14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家
スポンサードリンク
- PREV
- 生産再開へ(4) 工業用水と通勤
- NEXT
- 生産再開へ(6) 常務が大余震を・・・