*

さいごに(2) 帰宅許可について

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 さいごに, 東日本大震災体験談

今回、奇跡的に工場社員の犠牲者はいませんでしたが、大震災・大津波警報発令の直後の帰宅許可は、工場責任者としては適正な判断とは思いません。

下記に工場の今後の対応について、私なりの原案を提示しますので、皆さんにも考えてもらい、帰宅時の自己責任の原則は変わらないにしても、 “安全性、精度を上げた取り決め” にしていってもらいたいと思います。

他の事業所・営業所などでも、それぞれのリスク要素に応じて取り決めした方が良いのではないでしょうか?

【就業時間内に大地震、大津波警報が発令した際の帰宅の許可(原案)】

・・・省略・・・

編集後記

原案につきましては、働いていた工場が、大津波であっても安全な立地状況にあり、今回の場合は、災害が発生した直後に、安全な工場から、大津波に対してリスクが非常に高い通勤ルートへの帰宅許可のあり方、という、特異的なケースでのルールのあり方であり、省略させていただきました。

これからは、会社の立地条件や周囲環境などを考慮し、就業時間内に起こりうる天災(大地震や大津波だけでなく、台風や竜巻、河川氾濫、土砂崩れなど)のリスクを洗い出し、万一、そのような状況になった際の防災・減災に対するルール付けが非常に重要になります。

東日本大震災(大津波)の発生時刻は、平日の通常の会社であれば勤務時間帯でした。

その様な中で被災(流出など)した会社には、社員やお客様が当然のように居て、その会社の立地や諸条件の中で、様々な判断・指示・行動になっていきましたが、未曾有の大震災においては、当時の予想をはるかに超える大津波により、結果的には判断が甘く、多くの犠牲者を出すことになったのです。

sinsaikaisya

その結果、残された遺族の中には、その判断・指示・行動させた会社に納得するこは出来ず、裁判を起こしたケースも少なくありません。

もし、私が在籍していた工場の社員が犠牲になっていたとすると、責任者の私や会社が犠牲になった社員のご家族から訴えられていた可能性だってあるのです。

それぞれの裁判では、原告側(遺族)が勝訴したり、敗訴したり、和解したり、とそれぞれのケースにおいて様々です。

被告側(会社)は、『そこまで大津波が来ることは予知できなかった。』が一般的な弁護になり、会社の立地や諸条件によって、裁判結果が分かれるみたいです。

しかし、

これから起こりうる大震災(特に大津波)においては、そのような弁護は通用しない!

と考えるべきです。

東日本大震災を教訓として、例えば南海トラフ巨大地震など、全国的に起こりうる大震災の規模の見直しが行われ、それによって予想被害範囲や災害規模の見直しが行わています。

最低限、各地で見直しされた災害リスクに応じた防災・減災対策のルールを明確にしておかなければならないのです。

私は東日本大震災を経験し、

『自然災害に対し、防災という言葉は通用しない』

と考えるようになりました。

できたとして『減災』です。

そして、どのような自然災害に遭ったとしても、

『最低限の減災として人命を守る!』

そのことを、本気で会社や経営者は考える責任があります。

 さいごに(3) 最終回、退職のご挨拶 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

3月11日の出来事(3) 津波の映像と携帯不通

とにかく、連絡がつかない、状況がつかめない。 そのような中での私の行動は、駐車場から自分の車を

記事を読む

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じることは、残された家族・親族との絆

記事を読む

no image

さいごに(1) 雲の遥か

長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。 私は大震災前まで歌を聴いて泣けるこ

記事を読む

no image

支援物資(4) 食と住

支援物資を何にするか?を考える場合、 “衣食住”に分けられる。 “他の人だけでなく被災者

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(7) 一生忘れないよ

おばあちゃん、おじいちゃん、より子ママ・・・ありがとう。 今まで本当にありがとう。 ただこの

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(10) お元気ですか?-2

より子お姉ちゃん、膝の調子はどうですか? 無理をしていませんか? 愛犬チーズはおりこうさんにして

記事を読む

no image

3月11日の出来事(5) 唯一の情報入手源

もう少し、通信不能の状況についてお付き合いください。 震災後、数日間の唯一の情報入手源はラジオ

記事を読む

no image

3月12日の行動(6) 震災翌日の夜

常務への連絡終了後は、仕事モードから家庭モードへの切替です。 子供たち、妹たちからのメールを受

記事を読む

no image

3月16日の行動(1) 製品初出荷!

3/16(水)の朝になりました。 この日は、いろいろな事があり、いろいろな事を行いました。 震災

記事を読む

no image

3月14日の行動(4) 当たり前の生活

千厩(岩手県一関市)の宿の情報基地から、K次長と帰路に着く頃には暗くなり、実家経由にて帰るのですが、

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑