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3月11日の出来事(1) 会議中の食堂で

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月11日の出来事, 東日本大震災体験談

2011年3月11日 14時46分 私はじめ工場幹部は、食堂にて、月1回の定例である“課長会議”の開催中に大地震に遭遇しました。

食堂は工場の中では、長机と椅子しかない様なところですので、遭遇した場所としては比較的、安全な場所での遭遇でした。

しかし、これまで経験したことのない揺れの大きさと長さ・・・。
揺れている最中に蛍光灯が消え、停電になったことを認識し、本来であれば、そのまま治まるはずが、更に揺れが大きくなり、食堂に設置したばかりの、地デジ対応の42インチの薄型テレビが今にもテレビ台から落下する様な暴れ方の勢いに、逃げることも出来ず、その時の私の行動はテレビを押さえて落下を防ぎ、揺れが治まることを待つしか出来ませんでした。

工場は年1回、初冬に防災訓練を行っています。
この2年位は、地震も想定した訓練を行っており、社員の揺れが治まってからの行動は、訓練そのものでした。

火もと点検・始末を行ってから、全員がトラックターミナル前に集合し、各部門毎に点呼をとり、総務課長に部門毎に全員無事であることを報告、全ての部門・社員が怪我等なく、無事が確認できた時点で私に報告があり安堵しました。

訓練であれば、その後、訓練結果の総評を行い、自部門に帰って仕事を再開するのですが、今回の大地震では、訓練では予想していなかった事態に遭遇し、その判断・指示が、工場責任者としては、その後、精神的に追いつめられる結果となったのでした。

「こんな状況で仕事は出来ない」「家族が心配だ」「大津波警報が発令した」
等の意見があいつぎ、“帰せコール”になったのです。

PS
これから大震災の出来事を発信していきますが、いろいろな場面でいろいろな判断や決定がされていきますが、私としてはその判断に、正解・不正解といった割り切れるものではないと実感しています。

その時々の状況や事実によっても判断は分かれますし、『最適だった(かもしれない)』『不適切だった(かもしれない)』の評価は、いろいろな立場や考え方で言えるかもしれませんが・・・。

私の発信の中での考察や心境も、その程度で受け取ってもらえればと思います。

 3月11日の出来事(2) 帰せコール に続く

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