生産再開へ(4) 工業用水と通勤
沢水の摂取場所(水量との関係)と水質の関係を調査し、加工工程の工業用水として使用することができるか?を確認する必要がありました。
その水質分析を本社に依頼するも、しばらく待っても応答がなく、結果的には本社(外部委託含め)で水質分析を行ってもらえず、貴重な発電機の電源を工場2階の分析室まで引っ張り、分析担当者に協力してもらい、なんとか水質分析を間に合わせることが出来たのです。
当初は水量が豊富な合流地点での採取を考えていましたが、水質分析の結果は、
〇〇工程の工業用水としては使えない!
との結論になり、慌てて、採取場所を上流の水量が不足ぎみの沢水に変更を余儀なくされました。
沢水を工業用水としてポンプアップし、受水槽に貯めて使用できる様にするためには、専門的な工事とお金がかかることなので、全て、本社に一任しました。
工場も本社も当然ながら、電気の復旧に合わせ、工業用水としての活用を間に合わせることを前提に進んでいましたが、ここで、またトラブルが・・。
4/1(金)には電気が復旧し、加工設備の原点出しや点検を進め、4/4(月)から、工場の全社員を出勤させ、工業用水の通水も間に合わせ、待ちに待った “生産再開を行う!” はずでした。
しかし、工業用水のポンプアップの工事が、ポンプの入手が遅れるみたいな話になり、工業用水の通水工事が遅れ、結果的に4/4(月)には全員出社してもらったにも関わらず、製造部門は更に2,3日の休業に追い込まれることになったのです。
工場が “物作り” をしたくても出来ない状況は本当にもどかしいものです。
常務には4月に入ってのこの休業は、“人災(本社責任)でしょ!” って詰め寄ったこともあります。
3月の時点で、電気、水道の復旧見通しは流動的、情報錯綜していましたが、東北電力の3月中には電気復旧見通しの見解もあり、それを信じ、4月からの全員出社を前提とした生産再開を目指していたのに・・・。
全員出社を実現するためには通勤手段をどうするかも課題でした。
道路の復旧状態や災害復旧に伴う渋滞回避の必要性等を考慮し、マイクロバスでの送迎や社員の車での乗り合い等での通勤を検討しました。
まずは、本社にお願いしマイクロバス2台をレンタル確保してもらいましたが、工場社員数からは2台では明らかに不足することが判明、急遽、D社の社長さんにお願いし、D社のマイクロバスもレンタルしてもらうことにしました。
4月4日~約1ヶ月間、マイクロバス3台、乗用車◯台(遠距離社員)の乗り合いでの通勤手段となったのです。
スポンサードリンク
関連記事
-
-
さいごに(1) 雲の遥か
長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。 私は大震災前まで歌を聴いて泣けるこ
-
-
3/17~31の活動(1) 協力体制
これからは日付毎ではなく、分野毎に発信していきます。 3/17(木)、この日から地元の運送業者
-
-
生産再開へ(2) 本社出張
今になると、翌日(4/1)、どのようなルートでビジネスホテルから本社まで行ったのか記憶が曖昧ですが、
-
-
3月16日の行動(3) 決意
本来の避難場所が避難場所にはならなかった状況は、私たちの予想を遙かに超える悲惨な状況でした。
-
-
3月15日の行動(2) 戦場の中の様な
自宅付近を確認後、次に目指したのは気仙沼市内にある病院です。 国道45号線に平行する山沿いの農道を
-
-
私の家族(2) 父の死亡確認
翌日(3/18)の午後、K次長にも立ち会ってもらい、父の死亡確認を行うことになりました。 初め
-
-
支援物資(1) 感謝と感激
3月19日の朝に、それまでの支援物資の量とは比較にもならない、沢山の支援物資を、日本全国のみならず、
-
-
生産再開へ(1) 気持ちの切替
3/末になると、会社としても年度末対応の結果として上半期が終わり、4月からの下半期を向かえる時期です
-
-
ご宿泊者に追想(コピー版)をプレゼント
このブログのベースとなっている、自費製作した『追想』のコピー版を、ある京都の中学の先生のご好意により
-
-
さいごに(3) 最終回、退職のご挨拶
とうとう最終回になりました。 3.5ヶ月もの間、お付き合い頂きありがとうございました。 大変
スポンサードリンク
- PREV
- 生産再開へ(3) 電気と水道の復旧
- NEXT
- 生産再開へ(5) プロジェクト体制