*

3月12日の行動(5) 実家での出来事

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月12日の行動, 東日本大震災体験談

工場に戻る際、山道のルートを変え、○○小学校付近の伯母(父の妹)の家に立ち寄りました。

伯母の家はギリギリで津波の被害を免れてあり、簡潔に家族が見つからない旨を話し、暖かい飲み物をご馳走になって出る時に、
『これ持って行きなさい!』
って手渡されたのが、レバーをクルクル回して携帯電話に充電する充電器でした。

これは助かる!ってお礼し、工場に戻りました。

M氏に、女房の実家に行き泊まってくるかも知れない、と留守番をお願いし、実家に向かうのでした。

実家までの道路は、ところどころ凹凸はあるものの、普段の風景と変わらない道路を走り、実家に30分位で到着しました。

直ぐ、庭先に義姉がいるを見つけ、寄っていくも不審者が来た様な警戒顔(多分、髪ボサボサ、無精ひげだったから・・)だったので、
『気仙沼の菊田!』
って叫んで、はじめて私と認識してもらいました。

今考えれば、いままでしたこともない、義姉と自然に抱き合い、
『良かった!大丈夫だったんだ!』
の泣き声に、辛い事実を伝えなければなりませんでした。

『申し訳ね~!より子が見つからない。親父、お袋も・・・・』

その瞬間、
義姉の体は脱力感というのか、崩れ落ちそうになり、泣き声が大きくなり、私は涙を堪えて、お姉さん抱き支えていることしか出来ませんでした。

どの位の時間が経ったでしょうか・・・・。

お姉さんも正気に戻り、自分の足で歩ける状況になり、庭先から自宅の中に入ろうとした瞬間、私の携帯のメール受信の音声が鳴ったのでした。

90歳に近い義母への挨拶もそこそこ、携帯のメール受信の音声は、私の頭脳を仕事モードに切り替えるのでした。

メールを受審したということはアンテナが立つ場所があるということ、工場で経験した様に、庭先のある地点のみ弱いですがアンテナが立ったのです。

早速、本社の常務に連絡するも、途中で携帯電話の電池切れで中断・・。
クルクル充電器は回すも中々蓄電できず、直ぐに電池切れの状態。

その時、近所のおじさんが尋ねてきて、奥さんが沿岸地区の○○○で介護の仕事がしているが消息がつかめず、手がかりを求めてきたとのこと。

『○○○であれば、あそこは高いですから大丈夫だと思いますよ、ちょっとこれを回してもらえないですか!?』
(のちに、その方の奥さんは無事だったことが分かりました)

ってお願いし、その間に、何とか常務に連絡し、女房の実家にきてやっと携帯がつながった状況や、D社さんとの連携にて製品出荷の実現性を説明しました。

本社からは海外工場への出向組4名が翌日(13日)に東京の空港に到着し、その日に気仙沼出身社員と合流し、レンタカーで宮城に目指すことを知り、相変わらずの海外工場責任者Eさんのレスポンスの早さに驚くと共に、

無事に気仙沼までたどり着けるのか?
ルートがあるのか?

と、心配だった記憶があります。

連絡が終わり、携帯を切り、クルクル充電器の回すのをやめてもらったら、即座に充電切れの状態になるのでした・・・。

3月12日の行動(6) 震災翌日の夜 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

支援物資(5) 初動判断

これまでは、ボランティア的な支援物資に関して考察してきましたが、工場再開、災害復旧のために必要不可欠

記事を読む

no image

生産再開へ(7) 体制の変化

プロジェクト・分科会の体制・メンバーは生産再開・災害復旧の内外的な変動に伴い、刻々と変化していきまし

記事を読む

no image

支援物資(6) タイミングと目的

“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの” “提供するタイミングで支援

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(5) 家族のつながり

目を閉じれば そこには懐かしい故郷の景色、幼い頃の楽しかった思い出。 そして優しかった父、母、

記事を読む

no image

3月11日の出来事(6) 避難場所での一夜

3月11日に戻ります。 暗くなり、小雪が舞うきびしい寒さ、断続的に余震が続く中、当工場の非難場

記事を読む

no image

生産再開へ(1) 気持ちの切替

3/末になると、会社としても年度末対応の結果として上半期が終わり、4月からの下半期を向かえる時期です

記事を読む

no image

3月14日の行動(4) 当たり前の生活

千厩(岩手県一関市)の宿の情報基地から、K次長と帰路に着く頃には暗くなり、実家経由にて帰るのですが、

記事を読む

no image

3月15日の行動(4) お裾分け

遺体安置所から工場に戻り、義姉連中は実家に始めに帰り、夕方近くに、K次長、Y氏の弟と一緒に、実家に向

記事を読む

no image

さいごに(1) 雲の遥か

長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。 私は大震災前まで歌を聴いて泣けるこ

記事を読む

no image

震災から4年になるね

じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか? ケンカしないで、安らか

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑