*

3月12日の行動(6) 震災翌日の夜

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月12日の行動, 東日本大震災体験談

常務への連絡終了後は、仕事モードから家庭モードへの切替です。

子供たち、妹たちからのメールを受信していたので、滅多にしたことがない携帯でのメール入力、それでなくても入力が遅いのに、更に充電切れの状態につきクルクル充電器を回しながら・・・・。

やっとの思いで入力完了し、庭先のアンテナに立つところに立って送信すると、即座に返信メールを受信。
その場で返信入力していると、どんどんメールが受信され、メール返信入力が追いつかない・・・。

面倒くさくなって、娘(東京1人暮らしの専門学校生で一番心細かったと思う)にクルクル充電器を回しながら、なんとか通話にこぎ着け、泣きべそが伝わってくるも、一方的にこっちの状況を説明し、長男と(私の)妹連中に状況のメールを送信指示したりしました。

海外工場責任者のEさんからもメールが入り、工場から女房の実家までは、ルートが大丈夫だったことを伝えた記憶があります。

何度か、暖かいコタツでの入力、庭先でのメールの送受信を繰り返し、また、長~い、暗~い、夜に突入しました。

前夜と違い、“寒~い”は大幅に改善されています。
実家も停電中でしたが、堀コタツは昔ながらの練炭を使用、ストーブは反射式の電気を使用しないタイプでしたので、停電でも暖かい状態で夜を過ごすことが出来ました。

その夜、どういう会話したのか、どのような食事をしたかは、ほとんど記憶がありません。

但し、震災前まで、私は味わって食事するスタンスではなかったのですが、その日の家庭料理は、シンプルな割には、暖かくて、ものすごく美味しいかった記憶だけが残っています。

私もそうですが、実家の義姉、義母も、大震災の翌日ですし、完全に諦めていた訳ではありません。

別な避難所にいるかも知れない。
孤立したところに避難し、避難所に来られないのではないか?

そのような話題にもなったと記憶していますが、被災地をこの目で見てきた私と、見ていない義姉、義母とは、期待度合い、諦め度合い、の差異は明らかにあったと思います。

茶の間のコタツにそのまま就寝したのですが、なかなか寝付けず、色々なことを考えてしまうのですが、実家に来ての大収穫は、

停電復旧が早いと思われる内陸部に行けば携帯電話がつながる!

ということでした。

一関千厩町まで行けばつながるか!?
ガソリンをどうするか!?
そう言えば、着の身着のままの避難生活、生活物資(下着、食料等の確保)も必要!?
明日も避難所、自宅周辺を捜索し手がかりを掴まなければ!

頭の中が公私混同ぐるぐる状態になりながら、浅い眠りにつき、余震で目覚め、を繰り返すのでした。

3月13日の行動(1) 安否確認 につづく

スポンサードリンク

関連記事

3月15日の行動(1) 車の発見

翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(5) 家族のつながり

目を閉じれば そこには懐かしい故郷の景色、幼い頃の楽しかった思い出。 そして優しかった父、母、

記事を読む

家族からのメッセージ(1) 

『追想』を自費製作するにあたり、残された家族からのメッセージを添えることにしました。 追想は一

記事を読む

no image

3月15日の行動(3) 行方不明届

市内の病院から地元の気仙沼階上に戻り、どういう結果であれ、早く発見してあげることに優先すべき、との義

記事を読む

no image

支援物資(1) 感謝と感激

3月19日の朝に、それまでの支援物資の量とは比較にもならない、沢山の支援物資を、日本全国のみならず、

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(7) 一生忘れないよ

おばあちゃん、おじいちゃん、より子ママ・・・ありがとう。 今まで本当にありがとう。 ただこの

記事を読む

no image

3月14日の行動(2) 避難物資の買物教訓

千厩町(一関市)の郊外の大手スーパーやホームセンターに開店待ちで並んでいる状況を無視し、私達は、どの

記事を読む

no image

生産再開へ(3) 電気と水道の復旧

3月は年度末対応として、工場は製品在庫品の出荷、及び、可能な範囲での製品及びパーツの組立に注力してい

記事を読む

no image

私の家族(4) 父の火葬

翌日(3/19)は土曜日ですが、約20名の社員のご協力にて製品出荷を行った日です。 私の方は、

記事を読む

no image

3月13日の行動(1) 安否確認

大震災から3日目(日曜日)の朝になりました。 翌朝には実家でアンテナが立っていた唯一の庭先の場所は

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑