*

3月12日の行動(4) 予想を遥かに超える津波

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 3月12日の行動, 東日本大震災体験談

あるべき物が何もないんです。

zitakuato

そしてある訳がない物があるんです。
我が家の庭に、小型の漁船がひっくり返っているんです。

“おらいまで(津波が)きたら気仙沼は終わる”とよく言ってたんですが、それが現実になってしまったのです・・・・。

“より子~!(女房の名前)”

大声で何度も呼んでみたのですが、聞こえてくるのは、生活感のない異常な静けさ中でのウミネコの鳴き声だけ・・。

こういう時って、両親には申し訳ないですが、大切な人の中でも、一番大事な人が優先されてしまうんです・・・。

我が家や周辺の状況及び家族が地元の避難所に避難していない・・・・。

絶望感が増す中、避難所に戻り、更に知人に手がかりを確認するも手ががりはありませんでした。

無事だった近所の方々の確認が出来る一方、行方不明の近所の方々の情報も刻々と入り、頭が整理されない状況下の中で、決断したことは、

『女房の実家に連絡を取らなければ!』

でした。
女房の実家は岩手県一関市で、我が家からは約30km離れている“山の中”にあります。

3月12日の行動(5) 実家での出来事 つづく

 編集後記

画像はブログのトップ画像にもしていますが、近所の畑(西側)から海の方に向かって、基礎しか残っていない自宅と他から流れてきたガレキの状態です。

我が家は、海から直線にして500m以上離れており、震災前は建物や防潮林などによって海は見えませんでした。
現在は岩井崎の吹き上げ岩や竜の松をはじめ、太平洋を一望することができるようになってしまいました。

遠くに見える大きい建物が宮城県立気仙沼向洋高校の校舎、その奥に全漁連の倉庫が津波に耐えて立っていました。

現在の気仙沼向洋高校は、市内の気仙沼高校の第二グランドに仮設校舎を建て、生徒は制約された状況で学んでいますが、将来、ここ階上地区の安全な場所に移転する予定になっています。

旧校舎は震災遺構として保存する予定で検討を進めているところです。
校舎の3階の教室には今でも、津波で流されてきた車が突っ込んだままになっているなど、震災の状態のままになっているそうです。

大震災の翌日の12日は高校の周辺は水が引かず泥沼状態で、更に悲惨な状況でしたが、その日は撮影しようとかの余裕は一切なく、画像は3月15日に撮影したものです。

当時、我が家の2階部分が、全漁連の更に遠くまで流れ、原形のまま存在していたとは予想すら出来ませんでした・・・。

スポンサードリンク

関連記事

no image

私の家族(9) 葬儀

4/15(金)に最後になった母の火葬が終わり、葬儀屋さんに3人の遺骨が仮安置して頂いた頃、工場はマイ

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(8) 一番伝えたいこと

私は、毎年 お母さんの実家へ夏休みと冬休みに5日間ぐらい泊まっていました。 ですが、この東日本

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(4) 私のこころ-2

震災当時は、まだ19歳でした。 5月に20歳の誕生日を迎えた時、初めて誕生日なんていらないと思いま

記事を読む

no image

3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気

時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです

記事を読む

no image

3/17~31の活動(2) 対策本部

工場2階の応接室、会議室は対策本部として、煩雑な部屋に変化していきました。 白板を4つ準備し、

記事を読む

no image

生産再開へ(3) 電気と水道の復旧

3月は年度末対応として、工場は製品在庫品の出荷、及び、可能な範囲での製品及びパーツの組立に注力してい

記事を読む

no image

3月13日の行動(2) 軽自動車の借用

ガソリンが手に入らない状況で、いかに連絡ができるところまで移動し、本社や親戚に連絡をつけるか!?

記事を読む

no image

3月16日の行動(1) 製品初出荷!

3/16(水)の朝になりました。 この日は、いろいろな事があり、いろいろな事を行いました。 震災

記事を読む

3月15日の行動(1) 車の発見

翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても

記事を読む

no image

私の家族(5) 女房の死亡確認

以前に、女房の死亡確認において、情けない失態をさらすことになることに触れましたが、恥を忍んで発信しま

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑