3月12日の行動(1) 工場内の確認
ほとんど眠ることはできず翌朝(土曜日)になりました。
まず、私が行った行動は、明るくなってきたので、工場内の損壊状態や製品の保管状態を確認し、本社に連絡がつながった際に、ある程度、正確な情報を報告できる状況にすることでした。
本心は家までの裏道も知っている私にとって、直ぐにでも帰路に立ちたかったのですが、頭の中では工場責任者の責務が優先され、家族の
安否については、
避難して無事であればいずれ無事は確認できる!
万一の場合だったとして、私がどう動いても事実(結果)は変わらない!
と覚悟しての行動でした。
実は私が工場責任者になった直後から心配しながらも結論を出せきれていない事項がありました。
それは、製品の保管状態についてです。
今でもそうですが、製品を保管している重量棚はフロアにアンカーボルト等で固定している訳でもなく、パレットに乗っている製品はそのまま、フォークリフト等で重量棚に乗せて保管している状態。
一見すると、重心が高く、不安定感があり、
1)地震で重量棚ごと倒れてしまう可能性があり危険ではないか?アンカーボルトで床に固定すべきではないのか?
2)地震で製品が重量棚から滑り落ちて落下する危険性が高いのではないか?安全ロープ等で落下防止策をする必要があるのではないか?
でも、それをやったら保管・運搬の作業効率が著しく低下してしまう・・・。
結論を出せぬまま、私が工場責任者になって大きな地震を2度経験したことになります。
この経験の事実からは、岩手・宮城内陸地震及び今回の東日本大震災の地震では製品が保管されていた重量棚が倒れたり、重量棚に保管されていた製品が落下することはなかった、です。
さすがに今回の地震では保管されている重量棚のケタから片方が外れ、斜めになっていた製品がありましたが、落下は免れました。
落下を免れた要因として、工場地盤の堅さや揺れ方等の要因もあると思いますが、へたにフロアに重量棚をアンカーボルトで固定した方が、フロアを支点として高い方の揺れが大きく、製品が落下する可能性が増すのではないか?重量棚を固定しない方が、重量棚及び製品が一体化されて揺れるので逆に落下しづらいのではないか?と思いました。
従って今回の経験・事実から、重量棚を固定したり、落下防止ロープを設置等は考えていませんが、かといって、今後の地震でも棚が倒れない、製品が落下しないという保証はありません。
地震の際には棚や高所保管物の付近からは速やかに一次避難し、安全な所で揺れが治まるのを待つことが重要だと思います。
工場内を見回った限り、事務系では書類やファイルが散乱したり、製造現場では小部品が散乱しているところ、建物の壁等にヒビ等が見受けられましたが、大地震のわりには、製品等の保管物や生産施設への被害は比較的少ない!と判断できました。
スポンサードリンク
関連記事
-
私の家族(6) 女房の死亡届・火葬
父の死亡届で経験していますので、女房の時はスムーズでした。 この時にはスクーターが届いており、
-
3月11日の出来事(3) 津波の映像と携帯不通
とにかく、連絡がつかない、状況がつかめない。 そのような中での私の行動は、駐車場から自分の車を
-
3月15日の行動(1) 車の発見
翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても
-
さいごに(2) 帰宅許可について
今回、奇跡的に工場社員の犠牲者はいませんでしたが、大震災・大津波警報発令の直後の帰宅許可は、工場責任
-
3月11日の出来事(1) 会議中の食堂で
2011年3月11日 14時46分 私はじめ工場幹部は、食堂にて、月1回の定例である“課長会議”の開
-
支援物資(6) タイミングと目的
“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの” “提供するタイミングで支援
-
3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・
14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家
-
3月16日の行動(4) 周知・認識不足
3/16(水)は、公私ともにターニングポイントになった日と前述した様に、非常に慌ただしく、精神的にも
-
生産再開へ(1) 気持ちの切替
3/末になると、会社としても年度末対応の結果として上半期が終わり、4月からの下半期を向かえる時期です
-
支援物資(1) 感謝と感激
3月19日の朝に、それまでの支援物資の量とは比較にもならない、沢山の支援物資を、日本全国のみならず、
スポンサードリンク
- PREV
- 3月11日の出来事(6) 避難場所での一夜
- NEXT
- 3月12日の行動(2) レスポンスの早さ