*

家族からのメッセージ(9) お元気ですか?-1

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 家族からのメッセージ, 東日本大震災体験談

お父さん、お母さん、より子お姉ちゃん お元気ですか?

そちらの様子はどんな感じなのでしょうか?
私たちは、どうにかこうにかいろんな気持ちを乗り越えながら、みんな元気に生活しています。
安心して下さい。

離れて暮らすようになって、もうすぐ1年になります。
この1年、時間が経つのがずいぶん遅く感じました。
いろんなことがあり過ぎたからね。
でも、いつも近くで見守ってくれているって思っていました。

〇〇(息子)は11月で5歳になりました。
一緒に生活するようになってから、1年半で15cmも身長が伸びたんだよ!
すごいでしょ!!
子供って竹の子みたいだね。

今、自分が子育てをしながらいろんなことを考えています。

私は3人兄妹の末っ子として生まれて、みんなの愛情をたっぷり受けて、元気ハツラツなわがまま娘に育ちました。
兄妹の中では一番健康体だった私が、まさか白血病と宣告されるなんて誰も思わなかったでしょう。

私の病気が分かった時、主治医の先生から呼び出され、
『娘さんは急性骨髄性白血病です・・・』
と宣告された時、お母さんはその場で泣き崩れたそうですね。

でもお父さんと、白血病という病名を私に隠し通すと決断し、12月の寒さの中で水で顔を洗い、私の病室へ戻って来たお母さんは、普段通りの顔を演じてくれましたね。
素晴らしい演技力でした。
それを演技とは知らずに、事の重大さを計り知ることのが出来なかった私は、入院中のストレスをお母さんに八つ当たりして、精神的に辛い思いをたくさんさせてしまいました。
ごめんね・・・。

移植の時には名古屋まで付き添いに来て、一緒に闘ってくれました。
苦しくて夜中に私が眠れないと、お母さんも心配して起きていてくれて、私の手をぎゅっと握り、
『がんばれ、がんばれ、がんばれ、がんばれ・・・』
ってずっと声をかけてくれた。
あの手の温もりは今でも覚えているよ。
お母さんがいなかったら、あんな苦しい治療を乗り越えることは出来なかったと思う。
本当にありがとうね。

お父さん!
そっちでも大五郎を飲んでいますか?
飲み過ぎには注意ですよ!

お父さんは、海の仕事をしている時はいつも真剣勝負でしたね。
今考えると、海の男のカッコイイ姿でした。
でも、お酒が入ると陽気になって、宴会部長タイプの盛り上げ役。
私はお父さんのそういう所を受け継いでいるような気がします。

私が高校生の頃の、お父さんとの忘れられない思い出があります。
それは、ある夜、アクション映画を見ていた時だったと思うけど、お父さんが私の耳元で、
『としえちゃん、この映画スルリ満天だね~!』・・・と。
ん?なんか違う・・・。
『お父さん!それを言うならス・リ・ル・満天でしょ!!』
ボケとツッコミの親子漫才のようでしたよ!
社会人になってから、その話を友達にしたら、事あるごとに、
『スルリ満天のお父さんは元気~!?』
と言われるようになりました。
私はそんなほのぼのしたお父さんが大好きでした。

私が仙台に入院した時にも、もう60歳を過ぎていたのに、気仙沼から車を運転してお見舞いに来てくれて、帰る時にはエレベーターの前で見送る私に、いつもの笑顔で
『としえちゃん、頑張ってね』
と言って必ず、ぎゅっと握手してくれた。
あの手の厚みをずっと忘れないからね。

家族からのメッセージ(10) お元気ですか?-2 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

支援物資(4) 食と住

支援物資を何にするか?を考える場合、 “衣食住”に分けられる。 “他の人だけでなく被災者

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(8) 一番伝えたいこと

私は、毎年 お母さんの実家へ夏休みと冬休みに5日間ぐらい泊まっていました。 ですが、この東日本

記事を読む

no image

支援物資(2) 震災直後は・・・

今回の大震災の被災者は、社内だけでなく、国内、国外等から沢山の支援を頂き、本当に言葉では表すことが出

記事を読む

no image

私の家族(9) 葬儀

4/15(金)に最後になった母の火葬が終わり、葬儀屋さんに3人の遺骨が仮安置して頂いた頃、工場はマイ

記事を読む

no image

3/17~31の活動(4) システム対応

大震災以前は、関東の事業所に設置してある、コンピュータシステム(販売管理及び生産管理システム)に、工

記事を読む

3月15日の行動(1) 車の発見

翌日(15火)の朝になり、Y氏と何とか実家で合流し、実家の2階の部屋にコタツ、ストーブ等を準備しても

記事を読む

no image

3月13日の行動(2) 軽自動車の借用

ガソリンが手に入らない状況で、いかに連絡ができるところまで移動し、本社や親戚に連絡をつけるか!?

記事を読む

no image

3月11日の出来事(6) 避難場所での一夜

3月11日に戻ります。 暗くなり、小雪が舞うきびしい寒さ、断続的に余震が続く中、当工場の非難場

記事を読む

no image

さいごに(1) 雲の遥か

長い間、お付き合い頂きましたが、最終回が近づいてきました。 私は大震災前まで歌を聴いて泣けるこ

記事を読む

no image

3月14日の行動(2) 避難物資の買物教訓

千厩町(一関市)の郊外の大手スーパーやホームセンターに開店待ちで並んでいる状況を無視し、私達は、どの

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑