*

私の家族(6) 女房の死亡届・火葬

公開日: : 最終更新日:2016/03/11 東日本大震災体験談, 私の家族

父の死亡届で経験していますので、女房の時はスムーズでした。

この時にはスクーターが届いており、ガソリンが貴重な時期に有効活用させて頂きました。
(但し、市役所-工場間の活用は非常に寒かったです)

手続きの最後の方になり、火葬の予約について、予想通り、土葬を勧められますが、冷静にお断りし、一番日程が近い火葬場を確認してもらい、また、一関(釣山)か~、と思ったら、

『千厩で4/6 15:00~です。』

の返答、“釣山は?”と確認したところ、

『釣山も同じ日です。』

との返答に、

『それでは千厩で予約お願いします』

との手続きになったのです。

3/24の届けで4/6か~。
早くに見つけて届出していれば・・・、と女房には申し訳なかったのですが、千厩での火葬になったことは、女房の最後の “わがまま” だったのかも知れません。

千厩は合併して一関市になりましたが、以前は一関と気仙沼の中間に位置する “千厩町” でした。

私が高専卒業し、工場に入社するまでの3年間は千厩町にある電気メーカー〇〇系列の会社に入社し、既にそこに入社していた女房に出会いました。

女房は結婚してからも、その会社で働き、昨年の会社(事業所)の閉鎖になるまで勤め上げ、ギリギリまで失業保険をもらい、この4月に私の扶養になる予定でした。
これからゆっくり、成長する子供たちを一番の楽しみにしていた矢先でした。

3歳年上の “姉さん女房” だったのですが、バカ息子は家業を継がないのに、
“漁師町特有の亭主関白ぶり”
を徹し、仕事以外何もしない、何も出来ないバカ亭主には、
“出来すぎた女房” でした。

今では考えられないことだと思いますが、当時、女房が年上だったことだけで、特に母には大反対を受け、無理矢理結婚した経緯があります。

その後、母は妹に言ってたらしいですが、バカ息子が一番でかしたことは、より子を女房にしたこと、と話していたそうです。
(私としては嫁姑の間で大変な時も多々ありましたが・・)

口数が少ないぶっきらぼうな私とは正反対で、いつも明るくみんなに接し、友達は多く、地域(特に婦人部)にとけ込み、私にとっては申し分ない女房でした。

父の火葬時とは異なり、千厩での火葬は、口コミで女房の死亡、火葬日程が広まり、家族・親戚・親類だけでなく、小中学生時の同級生、勤め上げた元会社の同僚・上司、私の同級生等、多くの方々に見守られて旅立ちました。

それまで毅然として涙を見せなかった息子が、最後のお別れ時点で堪えきれず涙していたことが印象的で、喪主の挨拶としては、3人の中で一番辛かった火葬でした。

私の家族(7) 母の死亡確認 につづく

スポンサードリンク

関連記事

no image

私の家族(5) 女房の死亡確認

以前に、女房の死亡確認において、情けない失態をさらすことになることに触れましたが、恥を忍んで発信しま

記事を読む

no image

3月15日の行動(3) 行方不明届

市内の病院から地元の気仙沼階上に戻り、どういう結果であれ、早く発見してあげることに優先すべき、との義

記事を読む

no image

生産再開へ(4) 工業用水と通勤

沢水の摂取場所(水量との関係)と水質の関係を調査し、加工工程の工業用水として使用することができるか?

記事を読む

no image

家族からのメッセージ(7) 一生忘れないよ

おばあちゃん、おじいちゃん、より子ママ・・・ありがとう。 今まで本当にありがとう。 ただこの

記事を読む

no image

3月15日の行動(5) Y氏の体験談

14日の夕方から15日にかけて、本社から災害支援として駆けつけてくれた、Y氏の体験談を紹介します。

記事を読む

no image

3/17~31の活動(4) システム対応

大震災以前は、関東の事業所に設置してある、コンピュータシステム(販売管理及び生産管理システム)に、工

記事を読む

さいごに(2) 帰宅許可について

今回、奇跡的に工場社員の犠牲者はいませんでしたが、大震災・大津波警報発令の直後の帰宅許可は、工場責任

記事を読む

no image

震災から4年になるね

じいちゃん(親父)、ばあちゃん(お袋)、ママ(女房)、そっちはどうですか? ケンカしないで、安らか

記事を読む

no image

3/17~31の活動(2) 対策本部

工場2階の応接室、会議室は対策本部として、煩雑な部屋に変化していきました。 白板を4つ準備し、

記事を読む

no image

3月12日の行動(3) 震災翌日、自宅へ・・・

自分の目で確かめるしかない! 車でどこまで行けるか分からなかったし、避難所の中学校から自宅まで

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑