支援物資(3) 衣食住の衣
支援物資を何にするか?を考える場合、“衣食住”に分けられる。
提供受けた側の経験談として、 “衣→食→住” の感じの優先、提供だった様な感覚を持ちます。
私が支援物資を提供する側で考えるべきと察したことは、
“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの”
と、
“提供するタイミングで支援してもらいたい物資がどんどん変わる”
ということです。
とにかく、身内から支援して頂いた物でビックリしたのは、パンツ、靴下、下着(シャツ)、タオル、バスタオルの量です。
個人、個人の量は大したことではないのでしょうが、提供する多くの身内が同じ物に集中し、集めると、それらは、震災前の保有数を遙かに超える量が提供された感じです。
おかしかったのは、身内に、私は黒の靴下を履いていると思われていたのか、ほとんどが黒のビジネス用靴下・・・・。
出張とか慶弔行事にしか履かないのに、普段は白っぽくて短いスポーツソックスを履いているのに、スポーツソックスは全然、提供されませんでした・・・。
支援物資提供側では、“衣”から検討し始める様ですが、衣類全般は好みやサイズ、着する季節などがありますから、提供品が全て喜ばれるとは行かない様です。
また、被災した立場で贅沢言うな!
と怒られるかも知れませんが、中古の衣料には手をつけない被災者もいることも事実です。
衣料でも、
“他の人だけでなく被災者も考えつかない、でも被災者には必要なもの”
“提供するタイミングで支援してもらいたい物資が変わる”
を考えると喜ばれるものは数多くあると思います。
今回の例ですと、
“黒のネクタイ”
は該当すると思います。
多くの方が死亡、行方不明の中、男性は確実に慶弔行事への参加が増えます。
礼服はサイズとかあるし、高額ですので、無理だと思いますが、“黒のネクタイ”は手頃な値段で、すぐには使用しなくても使用する男性は
多いと思われ、喜ばれる支援物資ではなかったでしょうか?
私は息子が帰ってくる際に“買ってきてくれ”って頼みました。
大震災直後の火葬とかは、普段着で参列していた方も多くいましたが、当時はそれでも違和感はありませんでした・・・。
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