「 私の家族 」 一覧
私の家族(震災から7年)
東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じることは、残された家族・親族との絆が強まった、ということです。 辛い思いは私だけでなく、辛さを共有しているからこそ、震災直後からの生
私の家族(10) 愛犬チーズ
M氏家族には愛犬 “R” がいて、一緒に避難生活をしていましたが、あまり他人にはなつかないらしい “R” が、犬好きの私に馴染むまでに時間はかからず、 “お手” を要求すると、仕方なさそうな顔で従い、
私の家族(9) 葬儀
4/15(金)に最後になった母の火葬が終わり、葬儀屋さんに3人の遺骨が仮安置して頂いた頃、工場はマイクロバス・乗り合い乗用車を活用した通勤(勤務時間9時~16時)での生産体制にこぎ着けていました。
私の家族(8) 母と次女
死亡確認した当日(4/3)に市役所に死亡届を提出し、4/15に女房と同じ千厩での火葬と決まりました。 その間、学校の始業の関係と思いますが、遺体安置所を小学校の体育館から、遠く離れれた山間のゲー
私の家族(7) 母の死亡確認
最後に発見された母の時まで、何体の遺体の顔写真をみたことか・・・。 きれいなままの顔もあれば、損傷が激しい顔の写真もありました。 遺体リストの中には焼死体状態で男女判別も不明、顔写真に出来ない
私の家族(6) 女房の死亡届・火葬
父の死亡届で経験していますので、女房の時はスムーズでした。 この時にはスクーターが届いており、ガソリンが貴重な時期に有効活用させて頂きました。 (但し、市役所-工場間の活用は非常に寒かったです
私の家族(5) 女房の死亡確認
以前に、女房の死亡確認において、情けない失態をさらすことになることに触れましたが、恥を忍んで発信します。 息子と合流し、父の火葬(3/22)の前ですから、3/19か20頃だったと思います。 父
私の家族(4) 父の火葬
翌日(3/19)は土曜日ですが、約20名の社員のご協力にて製品出荷を行った日です。 私の方は、父の弟妹を中心に死亡確認及び火葬日程を連絡したり、葬儀屋さんに出向き、火葬の段取り(霊柩車の手配等)
私の家族(3) 父の死亡届
K次長と気仙沼市役所に到着した時は、既に暗くなってきて、当時、市役所も停電状態で、発電機による電気供給につき、薄暗い状態での事務手続きだった記憶があります。 順番待ちにて手続きを行ったのですが、
私の家族(2) 父の死亡確認
翌日(3/18)の午後、K次長にも立ち会ってもらい、父の死亡確認を行うことになりました。 初めに遺体リスト(32番)を確認すると、父の氏名が入っているのです。 なぜ、名前が分かったかというと、
私の家族(1) 父の発見情報
当分の間、私の家族のことについて、お付き合いください。 私の家族は、父、母、妻(より子)、長男、長女の2世帯6人家族でした。 長男はJR貨物に就職し〇〇駅付近の社宅、長女は東京の専門学校生で、