*

ご宿泊者に追想(コピー版)をプレゼント

このブログのベースとなっている、自費製作した『追想』のコピー版を、ある京都の中学の先生のご好意により、コテージキクタにご宿泊するご希望のお客様にプレゼントします。

その先生とのおつき合いは、コテージ開業当時、大学生だった息子さんと、ご宿泊頂いた時からです。

その時、コテージに置いていた『追想』を貸して頂きたい、との申し出があり貸出しました。
その結果、先生だけでなく、ご家族含めて『追想』の反響が大きく、その後、高校生の娘さんと再来したり、 奥様が単独でご宿泊したりと、ご家族ぐるみでお世話になっています。

その先生が、昨年(2015年)の夏、再会の際に、
『私の様に帰ってゆっくり読みたい方に提供してください。』
と、明らかに印刷業者さんに注文したと思われる、『追想のコピー版』80冊を置いてくれました。

そこで、先生のご好意に甘え、コテージキクタにご宿泊するお客様のなかで、お持ち帰り希望の方にプレゼントします 。

ブログとは異なり、個人情報や会社に関する多くの部分を編集や削除する前の原稿そのものです。

 

私はじめ、被災地の人たちは、被災地以外の方々に是非、来てもらいたいのです。

ボランティアや被災地視察や支援など固苦しい趣旨だけでなく、普通の旅行感覚で被災地以外と同じ様に接してもらいたいのです。
復活してきた自然を満喫したり、家族・グループで楽しい思い出づくりしたり、そのような思い出の中の一つとして、震災に関して何か感じて頂ければいいのです。

『追想』はそのような思い出の一つとして、これからの皆様の生活に多少なりとも役立つスパイス的な存在になってもらいたいと思っています。

詳細はコテージキクタのホームページへ

 

スポンサードリンク

関連記事

no image

3月12日の行動(1) 工場内の確認

ほとんど眠ることはできず翌朝(土曜日)になりました。 まず、私が行った行動は、明るくなってきた

記事を読む

no image

3月16日の行動(3) 決意

本来の避難場所が避難場所にはならなかった状況は、私たちの予想を遙かに超える悲惨な状況でした。

記事を読む

私の家族(震災から7年)

東日本大震災から7年が経過しました。 その経過の中で一番感じることは、残された家族・親族との絆

記事を読む

no image

3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気

時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです

記事を読む

no image

3月11日の出来事(2) 帰せコール

「こんな状況で仕事は出来ない」「家族が心配だ」「大津波警報が発令した」等の意見があいつぎ、 “

記事を読む

no image

生産再開へ(7) 体制の変化

プロジェクト・分科会の体制・メンバーは生産再開・災害復旧の内外的な変動に伴い、刻々と変化していきまし

記事を読む

no image

3月12日の行動(2) レスポンスの早さ

確か工場点検後、避難場所の玄関フロアに戻った時だったと思いますが、地元運送業者のD社の専務さんが心配

記事を読む

no image

私の家族(9) 葬儀

4/15(金)に最後になった母の火葬が終わり、葬儀屋さんに3人の遺骨が仮安置して頂いた頃、工場はマイ

記事を読む

no image

3/17~31の活動(1) 協力体制

これからは日付毎ではなく、分野毎に発信していきます。 3/17(木)、この日から地元の運送業者

記事を読む

no image

3/17~31の活動(2) 対策本部

工場2階の応接室、会議室は対策本部として、煩雑な部屋に変化していきました。 白板を4つ準備し、

記事を読む

スポンサードリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサードリンク

no image
時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

no image
時間が解決してくれる(再建)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

no image
時間でしか解決しないことがある(避難・仮設住宅)

元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に心が痛みますが、13

no image
時間でしか解決しないことがある(こころ)

東日本大震災から13年が経とうとしています。 震災から5年後には

日常と節目と語り部

東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が

→もっと見る

PAGE TOP ↑