3月16日の行動(1) 製品初出荷!
3/16(水)の朝になりました。
この日は、いろいろな事があり、いろいろな事を行いました。
震災以降、公私ともにターニングポイントになった日と感じています。
1) 2トントラックから、大量の支援物資を下ろしました。
2) 午前中に、製品出荷(積み込み)の為の協力を要請し人集めです。
積み込みの力作業は、工場に近い社員で対応できますが、何を何台積み込むかは、製品出荷担当者の指示機能の協力が不可欠だったので、手分けして製品出荷担当者と会い協力を要請しました。
3) 海外工場責任者のEさんの協力を得るために避難所に行った際、奇跡的に助かった隣の家の娘さんに会い、私の家族と一緒に避難した状況を聞くことができました。
(次号で詳細発信)
4) EさんがD社の社長の自宅を知っているとのことで、自宅まで同行してもらい、明日からのD社のトラックでの製品出荷開始の打ち合わせを行いたいので、夕方に工場に来てもらいたいと依頼しました。
5) 製品出荷をメイン(社員安否確認、支援物資管理含む)とした震災対策本部を2階応接室に設置しました。
(玄関フロアの避難場所を完全撤去)
6) 午後から、支援物資を運んできた2トントラックに、主力製品の積み込みを開始し、夕方、O氏とY氏がその製品を積んだ2トントラックで関東の事業所に向けて出発しました。
大震災以降、5日目にして製品初出荷にこぎつけたのです!
7) 夕方にD社の社長を含めて打ち合わせを行い、明日の出社社員の確認と車の乗り合い等の調整もおこないました。
8) M氏のお母さんに、明日から昼食の炊き出しを依頼しました。
9) M氏が私の寝不足を心配し、物置状態になっていたもう一つの和室に1人分の布団が敷ける程のスペースを空けてもらい、私の就寝場所を変更しました。
2トントラックの物資には、当時、被災地域だけでなく、全国的に入手が困難になっていた、ガソリン100リットルの提供があり、非常に助かりました!!
(関東の)事業所のHさんの伝手で何とか確保でき、また、同時に入手困難だったガソリンを入れる携行缶も皆さん手分けして確保の為に走り回ったと聞きました。
このガソリンがなければ、社員を工場まで送り届けることが出来ず、この時期での製品出荷開始は出来なかったことになります。
尽力頂きました事業所の方々に、あらためまして御礼申し上げます。
スポンサードリンク
関連記事
-
-
3月16日の行動(3) 決意
本来の避難場所が避難場所にはならなかった状況は、私たちの予想を遙かに超える悲惨な状況でした。
-
-
生産再開へ(5) プロジェクト体制
4/4(月)、大震災以降、初めて工場全社員を対象とした出社がスタートしました。 まず、全体の朝
-
-
3/17~31の活動(3) 情報通信
17日からの本格的な4トントラックでの製品出荷を開始すると、本社側との頻繁な情報通信のやりとりが必要
-
-
生産再開へ(1) 気持ちの切替
3/末になると、会社としても年度末対応の結果として上半期が終わり、4月からの下半期を向かえる時期です
-
-
家族からのメッセージ(10) お元気ですか?-2
より子お姉ちゃん、膝の調子はどうですか? 無理をしていませんか? 愛犬チーズはおりこうさんにして
-
-
支援物資(3) 衣食住の衣
支援物資を何にするか?を考える場合、“衣食住”に分けられる。 提供受けた側の経験談として、 “
-
-
3月16日の行動(4) 周知・認識不足
3/16(水)は、公私ともにターニングポイントになった日と前述した様に、非常に慌ただしく、精神的にも
-
-
3月12日の行動(4) 予想を遥かに超える津波
あるべき物が何もないんです。 そしてある訳がない物があるんです。 我が家の庭に、小型
-
-
3月15日の行動(2) 戦場の中の様な
自宅付近を確認後、次に目指したのは気仙沼市内にある病院です。 国道45号線に平行する山沿いの農道を
-
-
3月13日の行動(2) 軽自動車の借用
ガソリンが手に入らない状況で、いかに連絡ができるところまで移動し、本社や親戚に連絡をつけるか!?
スポンサードリンク
- PREV
- 3月15日の行動(5) Y氏の体験談
- NEXT
- 3月16日の行動(2) 生死の境