3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・
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:
最終更新日:2016/03/11
3月13,14日の行動, 東日本大震災体験談
14日の朝(月)になりました。
K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家に寄ってから千厩町(一関市)を目指しました。
会社から女房の実家まで約20km強、更に千厩まで15km強ありますから、会社から片道約35km離れている場所に移動して連絡を取ろうとしたのです。
『この辺は普段と変わらないな~』
と言いながら千厩に着いて、ビックリしたのは、信号機が正常に作動していたのです。
え!千厩は停電復帰した!?
そうか、津波を受けた被災地は電柱が倒壊、電線が断線しているので復旧見通しが立たないが、電柱が地震で傾こうが、電線がつながってさえいれば、停電復旧が早いのか!?
改めて、地震だけだったら被害は限定的で、津波の影響が甚大だったことを痛感する事象だったのです。
あ!アンテナが立った!
弱い、不安定だ!
高台だ!
千厩病院だ!
てな感じで高台にある県立千厩病院を目指し、安定して通話出来る状況を確認し、次長と手分けして、本社への連絡、親戚・家族への連絡を行うのでした。
後で考えれば、被災地では曜日感覚がなく、本社に報告した際、本社では、大震災以降、当番で土日に情報収集しようと試みたらしいですが、宮城とほとんど連絡がとれず、この日が月曜日で本社業務が正常開始した日であり、ちょうど、幹部の方々が対応策の会議中だった様です。
記憶が薄いのですが、
1)停電復旧には2,3ヶ月はかかると思う。
2)水道復旧の見通しもない。(津波の影響を受けている)
3)D社さんにお願いし、製品の運送開始するにもトラックの燃料(軽油)が確保できないので本社で確保してもらいたい。
4)ガソリンが手に入らない、ここまで来れば連絡が取れるが、いつまで来られるか分からない。
5)夕方、またここに来るので、それまで検討、指示事項等をまとめておいてもらいたい。
このようなやりとりだったと思います。
報告、連絡を果たした後の、次の目的は避難時の物資購入です。
千厩でもガソリン、物品の購入は困難な様で、ガソリンスタンド周辺道路には車の列が、大きいスーパーやホームセンターには、いつ開店するかどうかも分からないのに人の列が・・・・。
緊急時の避難物資の買い方、避難物資として重宝した物を次回で紹介します。
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