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「 月別アーカイブ:2014年12月 」 一覧

3月14日の行動(4) 当たり前の生活

千厩(岩手県一関市)の宿の情報基地から、K次長と帰路に着く頃には暗くなり、実家経由にて帰るのですが、帰る道路の外灯、付近の家の照明がついているのです。 『結構、停電復旧しているな~』 って女房

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3月14日の行動(3) 情報基地

千厩(岩手県一関市)での買い物を終え、工場に戻ると、既に、海外工場出向組、気仙沼出身組が2台の車で無事に宮城工場に到着していました。 その時点で海外工場責任者Eさんのお父さんの死亡が確認できたと

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3月14日の行動(2) 避難物資の買物教訓

千厩町(一関市)の郊外の大手スーパーやホームセンターに開店待ちで並んでいる状況を無視し、私達は、どの街でもシャッター通りとして問題になっている、旧市街地を目指しました。 実は私は千厩には縁があり

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3月14日の行動(1) 地震だけだったら・・

14日の朝(月)になりました。 K次長と “借用した燃費のよい軽自動車” にて工場を出て、実家に寄ってから千厩町(一関市)を目指しました。 会社から女房の実家まで約20km強、更に千厩まで

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3月13日の行動(2) 軽自動車の借用

ガソリンが手に入らない状況で、いかに連絡ができるところまで移動し、本社や親戚に連絡をつけるか!? を考えていましたが、 工場に戻って目についたのが駐車場にあるTさんの軽自動車でした。 (震災

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3月13日の行動(1) 安否確認

大震災から3日目(日曜日)の朝になりました。 翌朝には実家でアンテナが立っていた唯一の庭先の場所は圏外に変化していました。 義姉が、おにぎり等の差入れを持たせてくれて工場に戻りました。

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3月12日の行動(6) 震災翌日の夜

常務への連絡終了後は、仕事モードから家庭モードへの切替です。 子供たち、妹たちからのメールを受信していたので、滅多にしたことがない携帯でのメール入力、それでなくても入力が遅いのに、更に充電切れの

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3月12日の行動(5) 実家での出来事

工場に戻る際、山道のルートを変え、○○小学校付近の伯母(父の妹)の家に立ち寄りました。 伯母の家はギリギリで津波の被害を免れてあり、簡潔に家族が見つからない旨を話し、暖かい飲み物をご馳走になって

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3月12日の行動(4) 予想を遥かに超える津波

あるべき物が何もないんです。 そしてある訳がない物があるんです。 我が家の庭に、小型の漁船がひっくり返っているんです。 “おらいまで(津波が)きたら気仙沼は終わる”とよく言ってた

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3月12日の行動(3) 震災翌日、自宅へ・・・

自分の目で確かめるしかない! 車でどこまで行けるか分からなかったし、避難所の中学校から自宅までは1.5Km位の距離なので、徒歩で向かうことにしました。 途中、近所で仕出し料理を営んでいる同

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時間をかけてはいけない罹災証明書

元旦に発生した能登半島地震の被災者のために、震災を体験し、被災者(自宅

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元旦に発生した能登半島地震の災害ニュースを見る度に、東日本大震災時の状

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