震災遺構 南三陸町防災対策庁舎は県有化に!
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震災からの復旧・復興, 震災遺構
震災遺構として保存の是非で町が二分していた問題ですが、2015年6月30日、南三陸町町長が県の県有化案を受け入れることを表明しました。
私の推測通り、
『震災遺構として保存するために20年間の県有化の棚上げ』
になったようです。
地元新聞によると町長が県有化案を受け入れを決断した理由として、
①町が実施した意見公募(パブリックコメントで約6割が賛成した。
全町民を対象に意見公募を行ったらしいですが、約6割が賛成したとしていますが、有効回答率は14%と非常に低く、やはり、南三陸町町民において、防災対策庁舎の保存是非の問題は白黒つけがたい複雑な心境であると察します。
②県有化受け入れを求める請願を町議会が全員一致で採択した。
2013年9月、町長が復興の妨げになる、保存は財政面などから荷が重すぎるなどの理由から苦渋の決断として、防災対策庁舎の解体を決め、町議会も遺族からの『早期解体』の陳情を採択していた経緯があります。
この間に町議会議員選挙が行われ、町議会議員のメンバーも変わっている経緯があるにしても、町長だけでなく町議会も解体から保存に舵を切った図式になりました。
町長は、『悲惨な災害から立ち上がり、築き上げてきた努力の上にある町の歴史を、震災を知らない世代にどう伝えることができるか?今こそ、現実と正面から向き合って議論する時間が必要と判断した』
と述べました。
防災庁舎解体を望む遺族会の代表は、『町長は遺族の前で解体を表明したのに、なぜ変えたのか?遺族会としては到底、受け入れることはできない。町長は遺族にも直接説明すべきだ。』と憤っています。
しかし、遺族の中には保存賛成派も存在しており、早期解体派は劣勢であることは疑うことができない事実だと思います。
以前に紹介した、石巻市の大川小学校の保存の議論とは異なり、相変わらず、住民不在の議論・判断と思ってしまいます。
しかし、町長が言う、
『今こそ、現実と正面から向き合って議論する時間が必要』
が本心なら、今回の県有化受け入れの表明が、住民主導の議論へのプロセスの入口として、賛成派、反対派、老若男女が一同に介して意見を出し合い、住民として納得できる結論にまとめてもらいたいものです。
その際、前に『防災採択庁舎の埋葬化』という妥協案を提言させて頂きましたが、保存する方向に向かうにしても、少数派であっても、大震災によって大きな心の傷を覆い、防災対策庁舎に対する拒絶感を拭い去ることができない、解体派遺族の意見もを尊重し、お互いが納得できる合意形成に向かっての議論になることを願って止みません。
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