「 3月11日の出来事 」 一覧
3月11日の出来事(6) 避難場所での一夜
3月11日に戻ります。 暗くなり、小雪が舞うきびしい寒さ、断続的に余震が続く中、当工場の非難場所として、正面玄関を入ったロビーが自然的(すきま風が入るが直ぐに外に避難できる場所)に避難場所になり
3月11日の出来事(5) 唯一の情報入手源
もう少し、通信不能の状況についてお付き合いください。 震災後、数日間の唯一の情報入手源はラジオしかありませんでした。 その間、被災地とそれ以外の方々の心境は正反対だったと察します。
3月11日の出来事(4) 携帯電話と電気
時間が経つにつれ、周りが暗くなってきている中で、携帯電話がつながらない新たな問題に直面してきたのです。 携帯電話のアンテナが立たない状況になってきたのです。 電話をかける人が殺到し、携帯電話会
3月11日の出来事(3) 津波の映像と携帯不通
とにかく、連絡がつかない、状況がつかめない。 そのような中での私の行動は、駐車場から自分の車をトラックターミナルに移動し、エンジンをかけながら車のTVでNHKのニュースを見ることでした。
3月11日の出来事(2) 帰せコール
「こんな状況で仕事は出来ない」「家族が心配だ」「大津波警報が発令した」等の意見があいつぎ、 “帰せコール” になったのです。 確かに、大震災以降は停電したままですので仕事は出来る状況
3月11日の出来事(1) 会議中の食堂で
2011年3月11日 14時46分 私はじめ工場幹部は、食堂にて、月1回の定例である“課長会議”の開催中に大地震に遭遇しました。 食堂は工場の中では、長机と椅子しかない様なところですので、遭遇し