ごあいさつ
悪夢の様な東日本大震災の津波によって、自宅だけでなく、両親、妻、愛犬を一瞬にして失いました。
被災地、宮城県気仙沼から発信しています。
現在は、流失した自宅跡地に宿泊施設『コテージキクタ』を開業し、多くのお客様との出会いや激励に触れ、何とか生かされてきた感じです。
当時、私は某電気機器メーカーの地元の工場で工場責任者として働いていました。
震災直後、家族の安否確認や葬祭行事を行いながら、工場を避難場所とし、製品の出荷や生産再開の陣頭指揮をとり、社員及び社員家族の生活を守ることに専念しました。
当時は何かに専念しないと、自分がどうにかなってしまいそうな心身状態でした。
5月が過ぎ、以前の生産能力の目途が立った時点で、役割を果たし終えたような心境になり会社を辞める決断をしました。
守るべき妻、両親がいなくなって会社に勤める意味を考えました。
生活再建。地元の復旧・復興を優先した第二の人生を歩みたい気持ちが強くなり、引き継ぎの関係から11月に退職しました。
その後、第二の人生のあり方を模索し、退職から約1年後の2012年12月に、トレーラーハウスを活用した宿泊施設コテージキクタをオープンすることができ、現在に至っています。
震災体験談を公開する意図
人間は忘れていく動物です。
東日本大震災から3年が過ぎました。
未曾有の大震災と言われていても、東日本大震災に関する意識の風化は止まりません。
宿泊するお客様から、首都圏や関西の方では、東日本大震災のニュースなどはほとんど無くなったと聞きました。
自分自身、復旧・復興が進むにつれ、震災前の光景や震災直後の悲惨な光景が記憶から薄れつつあります。
それも良し、と心のなかでは容認している自分も存在します。
でも、あの悪夢のような出来事、経験を埋もれさせてしまって良いのだろうか?
被災者・遺族として、あの経験から得た教訓を、多くの方々に知って頂き、自分たちのような被害者にならないように、行動につながって頂ければとの思いから体験談を公開することにしました。
その教訓とは、
・普通の生活と家族の大切さ
・減災・防災の重要性と意識改革
追想について
ブログサイト名の『追想』についてご説明いたします。
会社を退職する決意をした際、全国の社員、関係者から多大なご支援、お見舞いを頂き、退職前に何らかの形で恩返しと考えた時に、大震災の事実・経験談を紹介しようと、6月中旬から3ヶ月半、回数にして約60回の記事を社内メールで発信しました。
社員の震災・人災のリスク回避や低減に少しでもつながって頂ければとの思いからでしたが、当然ながら、過去にさかのぼっての記事作成につき、私にとっては辛い作業でもありました。
退職後、両親と妻の一周忌法要を行うことになった際、震災直後の葬儀においては、混乱の中、出席できなかった親族がいたり、十分なおもてなしができなかったことから、嫁に行った2人の妹達と法要後の会食イベントを企画することになったのです。
その際に、私が社内メールで発信し続けた体験談の記事を見せたら、このままにしておくのはもったいない、ということになり、妹達が主体となって、その記事と、残された家族のメッセージも添えた、『追想』という小冊子が出来上がり、出席者に提供しました。
その追想はコテージキクタの宿泊棟にも設置しており閲覧することができます。
このブログサイトの体験談は、その追想の記事をベースにしますが、個人情報や会社に関する多くの部分を編集したり、削除して公開しますので、多少、現実味や本質が薄くなってしまうかもしれませんがご了承お願いします。
ご興味ある方のご家庭やお仕事の生活の改善に、少しでもお役に立てれば幸いです。
これから、宜しくお願いいたします。
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公開日:
最終更新日:2016/03/11