震災遺構での語り部活動(2)
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震災伝承
東日本大震災から10年という節目を迎えるにあたり、前回に引き続き、私が家を流出した被災者、家族を亡くした遺族の立場で、これまでの行動を含めて震災伝承と節目についてご紹介します。
前回は、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館のオープン以降、語り部活動を開始した経緯を中心にご紹介しましたが、今回は私の語り部の特徴を中心にご紹介します。
語り部スタッフについて
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館には、約20名の語り部スタッフが登録し、伝承館の依頼に応じて活動しています。
伝承館のスタッフが語り部の予約があった団体の特徴や人数、日時に応じて、登録している語り部から選出して依頼し、語り部の都合が合えば応じるスタンスです。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の語り部ガイドの紹介ページはこちら
防災関係行政団体、地域団体、学校の研修・修学旅行、マスコミ、会社の社員旅行など、様々な特徴の団体や個人からの受付がありますので、その特徴に応じて伝承館スタッフが語り部の職歴や体験・経験などから、適材関所の語り部を振り当てる感じですが、私は比較的オールマイティと自負しています。
当然ながら平日の語り部依頼も多く、仕事をしている語り部は断ると思うかもしれませんが、登録している語り部スタッフの多くは、第一線を卒業した年金生活の方々が主流ですので結構融通が利き、還暦を迎える私が若い方の語り部です(笑)。
私は宿泊業や漁師を営みながらの語り部スタッフなので、基本的に出漁する可能性が高く、宿泊施設のチェックアウト後の対応業務を行う午前中は遠慮し、なるべく午後の語り部を中心に承るスタンスです。
しかし、仕事場、住居の目の先にある気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館、語り部の中で施設に一番近いところに居る語り部なので、突発性な事象ではすぐに頼られ、暇(笑)なので臨機応変に対応し、出動回数がトップレベルの語り部です(笑)。
私にしか語れない事がある
震災遺構・伝承館の語り内容は、基本的に旧向洋高校や周辺を襲った震災状況や、生徒・先生の避難行動など、ある程度マニュアルに沿った語りが中心です。
それに加えて、語り部本人の体験談、避難生活などオリジナル的な語りも含めているので、結果的に語り部スタッフによって語る内容も千差万別になります。
私は、ほとんどの財産を失った(自宅を流出)被災者として、家族3人(両親と妻)と愛犬(ゴールデンレトリバー)を津波で亡くした遺族の立場での語り部です。
語り部を開始した当時、自宅を津波で流出した被災者であることは容易に語ることはできましたが、遺族であることは語りませんでした。
それは、遺族として震災直後の精神的落ち込みは、それを体験した人でしか分からないと思います。
従って、遺族であることを語ることは、勝手に当時の最悪な状況にフラッシュバックしてしまい、正常に語れる自信がなかったのです。
しかし、私の語り部としてのスキルも低かったと思うのですが、
語りたいこと(目的)がきちんとお客様に伝わっていないのでは!?
お客様の顔の表情とか見ると、他人事のような感じで、語りたいことが十分に伝わっていないな~。
という感覚でした。そして、
遺族の立場もさらけ出して、語りたいことを真剣に訴えるしかない!
と思ったのです。
私が住んでいた隣の、杉の下地区で避難場所に避難した多くの方が、それ以上の高さの津波に流され多くの犠牲者が出たことを語る時点で、
『実は私の自宅はその地区の隣のあそこ(現コテージ)にあって、その上の高台に避難したらしいですが・・・』
冷静に語ることを常に意識し、正直に遺族であることを語り始めたのです。すると、
お客様の表情が急変する
のです。
中には瞬間に涙を流すお客様もいて、
その時点から聞く態度も急変する状況を何度も見ることになりました。
分かりました。
正直に被災者・遺族として真実を語り、語る目的を真剣に訴える。
このことを意識し語り始めてから、伝承館スタッフからの聞いたお客様の反響なども聞いて自信となっていきました。
現在では小学生の団体から社会人の団体、一般客の語り部まで、団体の特徴や語り部予定時間に臨機応変に対応し、語れるようになってきました。
被災者・遺族の立場として、私にか語れない語り部の目的は、
- ふつうの生活の大切さ
- 家族の大切さ
- それを守るために防災・減災の重要性
です。
以上、震災遺構での語り部活動について紹介しました。
次回は、日常と節目と語り部活動について触れたいと思います。
(つづく)
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